ロバート・A・ハインライン「夏への扉」(福島正実・訳)

彼(注・主人公の愛猫ピート)は、その人間用のドアの、少なくともどれか一つが、夏に通じているという固い信念を持っていたのである。
(略)
だが彼は、どんなにこれを繰り返そうと、夏への扉を探すのを、決して諦めようとはしなかった。

いつも心にセンス・オブ・ワンダー。いかに科学的考証が古びようとも、いかに作家本人が極右思想の持ち主と知ろうとも、いかに主人公の30男が11歳の娘ッ子にひそかに恋するみたいな設定にロリコン魂感じて引こうとも、いつまでも読み続けたい、孫子の代にも伝えたい、珠玉の名作。
識者からいくらベタって云われようと、オレにとっては、学生時代に読んだ本作と、ダニエル・キイスアルジャーノンに花束を」、アルフレッド・ベスター「虎よ、虎よ!」、グレッグ・ベア「ブラッド・ミュージック」、カート・ヴォネガット・ジュニアスローターハウス5が生涯ベスト5のSFであります。
典型的文系で科学理論なんざちんぷんかんぷんだけど、文章読解力と想像力くらいはある、そういう意味では理論先行のハードSFより、物語重視路線のモノが好み。ある時点から翻訳ミステリを気が向く時だけ読むといった具合に読書傾向が定まってしまったので、SFにはうとくなる一方ですが、フィリップ・K・ディックはじめ、有名作品は何とか読もうと努力した時期もありました。
まぁ、人生限られた時間しかないので、今後もよほどのコトないとSFには手出ししないだろうけど、それでもおさえきれない願望はある。特撮とCGがこれだけ高度に進化した今こそ、かつて映像不可能とされたSFの映画版が見たい、と。もちろん、最近ではウェルズの『タイムマシン』みたく、ファンの期待を裏切る出来になる可能性もあろうが、まずはやってみないと始まらない。「夏への扉」なんて、タイムスリップものでもかなりローテクな設定だから、映像化なんて楽勝と思うんだけどなぁ。企画として需要がないってコトなのかな? 
それでも、オレは待ち続けます。
ベスターの「虎よ、虎よ」では、かの<ジョウント>とタイポグラフィが見事に映像言語に昇華された異形の「幻視」空間が網膜を直接刺激、そこでは『2001年宇宙の旅』のモノリスを超えた映像世界が繰り広げられ、さらに、ベアの「ブラッド・ミュージック」では、『未来惑星ザルドス』のタバナクルのごとき、<不老不死境>が細胞の宇宙規模的変異によって形成され、神が創りし天上極楽に人々の魂のみが永遠に遊び、はたまた、ギブスン『ニューロマンサー*1では雨にくすぶるチバ・シティとウェブが一体化した真・マトリックス空間が現出し、はたまたバリントン・ベイリー「禅銃<ゼンガン>」では『スター・ウォーズ』を凌駕する、小姓とブタ軍団の激闘が文字どおり<ワイドスクリーン・バロック>にて観客を幻惑する……キリがありませんが、これらかつてSFファンが夢見た世界も、いまや映像化するだけなら充分、現実化し得る時代となったのです。ハリウッドでも日本でもドコでもいい、真のSFマインドを持ったプロデューサーとディレクターの出現を、今はひたすら、待ち望むのみであります。
つうかさ、スピルバーグよ、ルーカスよ、はたまたリドリー・スコットよ! アンタらなら実現可能なハズだよ、ぜひやってよ! 『A.I.』みたいな愚作(とオレは思う)撮ってる場合じゃないんだってば!!!

*1:天才PV監督クリス・カニンガムが映画化を準備中、との噂もあるが、おそらく無理であろう。