ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」(ハヤカワ文庫、稲場明雄訳)

夜は若く、彼も若かった。
が、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。

幕開けからどうにも刹那にして切な、しかれども甘やかな切り出しから、たたらを踏むがごとく、思いがけず眼前に口を開けた陥穽に、くるめいて堕ちていく主人公。
あまりにも有名な冒頭の美文もさることながら、全編にひしひしとみなぎる緊張感がたまらない。今回ピックアップした箇所はネタバレとなるので、詳細はあえて明かさないが、一度でいい、この名場面を腕ある監督に、見事に映像化してもらいたいもの。
ちなみに、本作は1951年、『らせん階段』等で知られる名匠ロバート・シオドマクによって映画化されている。WOWOWで放映されたので見た方もおいでだろうが、なんと原作どおりではなく、あえて真犯人側の視点で描くという趣向で、なかなか面白かった。サスペンスを得意としたシオドマク監督は、主人公が蜘蛛の巣にからめとられていくかのごとき、救いなき、ニューロティックな演出で魅了する人だが、同作でも犯人役の男が知らずしらずのうち、まさに「自縄自縛」、自らが掘った陥穽に落ち込んでいく様が、まがまがしく描かれて興をそそる。原作のファンの方なら、一見の価値あり。


ちなみに、先日自殺した野沢尚は、ウールリッチ名義の大傑作「喪服のランデブー」の脚本化に果敢に挑んでいた。ヒロインの麻生久美子の好演、さらに演出にあたった『居酒屋ゆうれい』の才人・渡邊孝好の手腕もあって、映像のクオリティも高く、なかなか見応えある意欲作だった。しかし、やはりあのきわどい設定を日本に移しかえるのは至難のワザ、物語的には物足りず、残念だった。いま考えれば、ファンの勝手な希望ではあるが、正直、映画で撮らせてあげたかったようにも思う。
悲しいくらい貧読の小生だが、アイリッシュコーネル・ウールリッチ)は数少ない偏愛する作家のひとり。端整ながらどうにもセンチメンタルな美文からは、痛々しいほどに作家本人の「孤独感」「寂寥感」が伝わってきて、時に涙するほど。寝苦しき熱帯夜、ふっと読み返したくなる作家のひとりだ。