『日本暗殺秘録』

「革命は“おれたち”がやるんじゃない。“おれ”が革命をやるんだ」-千葉真一

暗殺者映画なんていうと、ジョゼフ・ロージーの『暗殺者のメロディ』あたり、オレなんざ思い浮かべるんだが、驚いたね、陰々滅々、「秘すれば花」な神秘国、わが日本には、ロージーの観念主義をあざやかにふっとばす、情念の屈折変化(へんげ)として生まれし<暗殺/テロリズム>をずっと端的明解に描いた大問題作があったのだ。
幕末から昭和維新の近代日本、歴史を情念の面で動かした暗殺事件の数々が、悲愴感に満ちみちた、ダイナミックかつリリシズムあふれる堂々たる演出で映し出される。
若山富三郎がのっけから大熱演する<桜田門外の変>に始まり、大久保利通大隈重信(未遂)、星亭ら著名な要人暗殺事件がオムニバス形式で綴られる序章に続き、史上名高い<一人一殺>で知られる井上日召率いる<血盟団>の蔵相・井上準之介暗殺実行犯たる小沼正の人生が描かれる。
正義感あふれる水戸っぽ青年がいかにして要人暗殺を為すに至ったか、その内面の葛藤劇が、(おそらくは虚実織りまぜて)銀幕から飛び出してきそうな迫真のショットを駆使して、眼前に叩き付けられる。撮影監督は『仁義なき戦い』シリーズで知られる吉田貞次。若き男女がつかの間の抱擁かわす夏草の群れ、打ち寄せる大波、それを切り裂くようにあらわれる日輪、さらに、それらシンボリックなイメージショット以上の迫力みなぎる、主人公.千葉真一(小沼正)、片岡千恵蔵井上日召)、そして田宮次郎の顔のアップショット。『鉄砲玉の美学』で見せたヌーヴェル・ヴァーグの出来損ないみたいなハチャメチャキャメラワークとは一見対極、ワンショットワンショットが美学的構築された映像構成が見応え充分。
もっとも、コレ、本人が上映後トークで冗談まじりでいみじくも述べたように、さすがは東京大学美学科卒ゆえかどうか、題材に応じて、いかに映像本位でキャラクターの内面なり、舞台の空気感なりを、どこまで本人流に「美学的」に映し出すかという、中島貞夫という一見とらえどころのない多才監督の「作家性」なのかもしれぬ。試論だが、中島貞夫よりは明らかに娯楽路線なれど、時に文芸趣味も見せた鈴木則文の「即物主義」と照合して考察するに、鈴木則文が物語重視で対象をキャメラにおさめるのと違い、中島貞夫はキャラクターに依拠して映像構成してしまうのではないか? などとつらつら思った。この点、映像作家の本質を考える深く謎な問題ゆえに、まとまらぬまま、このままおく。
さて、本作のクライマックスは大日本帝国の軍部暴走を決定づけた昭和維新二・二六事件の内幕に踏み込む。詳しくは本編を御覧ありたいが、笠原和夫中島貞夫のコンビは、ここでいまなおタブーたる<国体>それ自身の責任問題にあえて言及。磯部浅一に扮するは鶴田浩二。良くも悪くも大和男児を雄々しく演じ続けた男気名優は、近代日本の正義の終焉を告げるかのように、むなしく散っていく。二・二六事件の首謀者将校の処刑シーンは酸鼻きわまるが、彼らの鬼哭のなかにシナリオ改編を余儀無くされた超問題な一言を残した勇断に感じ入る。笠原和夫の太平洋戦争を見据える思想的スタンスの是非はともかく、おのれが信ずるものに殉じる男の「美学」がフェティッシュなまでにあざやかに浮かび上がる、このあまりに知られざる、というより、おそらくはあえて知らされざるオールスターキャスト大作、テロリズム横行する世界と化した現在こそ、再見されてしかるべき問題作ではないかと存ずる。
しつこく書くが、思想的な是非、作品としての良悪を問う以前に、オレ自身はこの映画に、有無を言わさぬ映像で体現された、男の美学を感じた。こういう映画こそ、真にヤバい映画だと思う。もちろん、だからこそカルト化を煽る封印なぞ許されぬ。広く識者の再検証を求めたい一作である。


……追記。血盟団事件について知りたくて、いろいろ検索してみたのだが、本作の一般的な評価はかなり低いようだ。ふぅむ、なんだなんだ、オレが特殊つうか、ただの右翼野郎だか変わり者みてぇじゃねぇかッ、ちきしょうッ!<変わり者だっつぅの!
マイケル・ムーアを支持したり、小泉ブッシュを侮蔑したり、共産党に投票したり(笑)してる時点で、オレは自分でも「右翼」ではないと自覚しているつもりだが、少々、<激情型>の人間ではある。というより、残念ながら、国家社会主義者、要するにファシスト的傾向あり、と友人に指摘されている。そういった諸要因があって、映画中のテロリスト、千葉チャンに感情移入してしまい、映画そのものへの評価も甘くなっているのかもしれない。あと、二・二六事件青年将校、特に磯部浅一については、行動の是非以前に、彼らの「志」だけには心動かされるモノがあるので。
ま、そういう個人的な思想的/情緒的スタンス以前に、吉田貞次のキャメラ富田勲の格調高い音楽、その雰囲気を壊さない中島貞夫カントクのいつになく真面目くさったストレートな演出がいちいちツボに入ったってコトなんだろう。笠原和夫中島貞夫共同による、脚本は少なくとも見ていて「聞き応え」はあったと思うし。ただ、製作段階における演出意図の食い違い等、詳しい内部状況については、まるで勉強不足なので、いずれ本作も、機会を改めて、再検証することになると思う。
それでも、「いやぁ、思想的にも映画的にも間違ってるかもしれないけど、興味深いシャシンでは絶対あるって!」とは云い続けると思う。
大体からして、スターの生真面目な熱演みてるだけでも楽しいしさ。鶴田浩二はアレでいいんですよ。ああいう構成でなければ、もっと名演できたとは思うけどね。
もうひとつ、追記。オレの横でカントクの対談をデジタルキャメラで撮ってたねェちゃんが、大久保利通だかの暗殺場面とか見て、妙に笑ってたりしたんだが、アレはなんだったんだろう? 暗殺犯役に<状況劇場>の面々を発見したとか? そのわりにはATG映画が1千万円で製作されてたって、映画ファンなら「常識」なコトを知らなかったらしく、「へぇ〜」なんて驚いてたり。まぁ、人間どこで笑おうと勝手だし、流血凄惨なチャンバラ場面とか、正直、可笑しかったりもするのもわかるけど、なんつうか、違和感を覚えたので書いておく。べつに「断罪」してるんじゃないよ、個人的にナニが可笑しくて笑ってたのか、知りたくなったからさ。