でも、やるんだよ! 町山智浩氏による『華氏911』レポート

ニュースでも頻繁に流された、今年度最大の話題作、日本唯一にして最高の映画ジャーナリストによる最新レポート。ネタバレがあるゆえ、映画の内容に触れた箇所は飛ばして読まれたし。


オレが町山さんという方を尊敬するのは、日本ではいまだ明確に存在し得るコトもできていない、装い新たな<映画ジャーナリズム>のスタイルを、ほぼ独力で築き上げたと思うゆえ。「映画秘宝」はおバカ映画マニアの必須アイテムとなったのみならず、業界内部では禁じ手なりアンタッチャブルとされていた領域にも踏み込み、いまやもっとも信頼のおける映画雑誌とまで評される存在となった。
元副編集長の思慮浅い誌上発言により、町山氏率いる「秘宝」一党によって言葉どおり“襲撃”を喰らい、大打撃を受けた「キネマ旬報」は、その後、スポンサーを短期間に二度も変える放慢経営、さらに誌面刷新も一切行なわない無為無策ぶりゆえか、売り上げ面でもすでに「秘宝」に敗退した。


「プレミア」も<世界でいちばん売れている映画雑誌>といううたい文句がうそ寒くなるような素寒貧ぶり(実売数の少なさたるや、おそるべし)。海外版の翻訳記事の一部を除き、子供じみた感想を垂れ流す女性ライターを軸に据えた紹介記事にコラムと駄文の羅列、編集方針なぞまるきり見えず。発刊以来6年余が経つというに、いまだ立ち位置を定められず。「秘宝」の雑駁な愉快痛快さを超えるような読むに足る論説も記事作成も果たせておらず、雑誌自体の存在感という点でも「秘宝」に完全に負けている。
一言で云って、「思いきり」が足らぬのであろう。反論者はいようが、日本側のクズライターを排除して、優れた海外記事&インタビューで勝負するなど、その気になれば「Cut」なぞ超える映画雑誌になれると思うので、いまの体たらくは残念しごくである。


蓮實重彦山根貞男山田宏一ら有志の協力を得て、「リュミエール」あたりを発端に、日本にも“シネフィル”層をつくりあげ、かつては見ることさえできなかった映画史的名作の数々が公開されるよう、アカデミックな方面から働きかけるなど、めざましい啓蒙活動を行なった。それはバブル前後に隆盛を極めたミニシアターブームと同調し、東京は世界に誇る<映画都市>へと変貌した。
だが、彼らの論調はやがて、終始、ある種の映画を選別/差別するだけにとどまる、単なる「格付け」行為と化していった。彼らは高らかに、小津を、マキノを、ホークスを、ルノワールを、そしてゴダールをと、独特の句読点なしの美文でうたいあげたが、それらは結局、かつて四方田犬彦がいみじくも評したとおり、ただの<美食漁り>に過ぎなかったのだ。
もっとも反面、黒沢清青山真治・周防政行ら、新世代監督を輩出する磁場/環境をつくりあげたり、映画ファンの意識改革を行なった功績は大きく、この点は見逃してはならない。
しかし、映画を等身大に検証し、評価するという点では、思想において論調において、あまりに偏りがありすぎる。とてもジャーナリズムと呼べるモノではない。
小津安二郎についてシンポジウムを開催したりするのはいい。日本が世界に誇る映画監督は黒澤明だけでないことを世界に知らしめた功績は蓮實重彦その人あり、といっていい。小津だけでなく、北野武はじめ、日本の映画作家を世界的存在にする「ロビー活動」の最有力者となったその存在の大きさには敬意を払うべきである。
だからといって、蓮實重彦とその周囲の人間のお眼鏡にかなうというだけの理由で、小津はじめ「映画的」と称される一部の映画作家のみ称揚し、他は排斥または侮蔑・無視するという、まさにカルト宗教のごとき教義偏重方策にとどまっているのはいかがなものか? 正直、気色が悪い。


個人的には、映画の現場から、映画人そのものが発信する情報に力点を置いた、文字どおり、「現状を撃つ」スタイルで映画とそれを取り巻く世界を論じる、“真”の映画ジャーナリズムが築かれることを望む。作品のテキスト的解釈、記号論的不毛論議、さらには幼稚園児のごとき舌足らずな素人以下の感想を読まされるのは、もうたくさんだ。


本気で映画評論家なりを目指す方には、蓮實重彦一派なり「映画秘宝」なり、この双方に目配せしつつも、最終的にはいずかたにも偏らず、おのが見識を磨き、おのが力で称揚しうる、いまだ発見されざる映画人や作品を、日本へ、世界へ、紹介していけるよう、努力してほしいものである。