『華氏911』追記:ドキュメンタリーは主観的産物なり!

華氏911』ショック、さめやらず。
オレはマイケル・ムーアの妄信者ではないつもりだが、支持者なのは間違いない。昨年以来、座右の人物のひとりとして、親愛の情を抱いている。
そんなわけで、以下は「フェア」な文章ではない。
日本における共和党支持者か、ゴダール信者(正確には、ゴダールというアイコンを利用しておのが知性を誇りたいだけの、ただの妄信的+利己的追随者)のエセインテリたる否定派や、いわゆる懐疑主義者には受け入れがたい、というか、鼻で笑うしかない愚文であろう。
いいさ、どうせオレはボンクラだから。てめえが感じるままに、書く。べつに真実を語りたいとか、オレの云うことを全面的に受け入れて欲しいなんて思わない。ただの、ヨタだ。挑発的な物言いばかりだから、むかっ腹も立つだろう。いちおう、御警告まで。


個人的には、まず、ドキュメンタリーというモノに対する、世間の認識の浅さに、ひどく失望している。
以前も書いたが、ネット等を見ていると、相変わらず、<ドキュメンタリー>がいかなるモノか、キッチリ認識もできぬまま、モノを語っている方が多くて、萎える。
ドキュメンタリー=客観的な映像と認知されている向きがあまりにも多いのだが、実際は全然、違う。
ドキュメンタリーとは、「撮影者」によりとらえられた、本来、恣意的でしかあり得ない映像であり、客観的に事実のみを映し出すなどというメディアでは、全くない。
映画が映像“娯楽小説”だとしたら、ドキュメンタリーは映像“コラム/エッセイ”である。
あくまでも、創り手の主張・意見を表明するための映像作品でしかない。要するに、この世で最も「主観的な映像作品」、それがドキュメンタリーというものだ。世間の認識は全然、逆なのだ。
動物ものとか、世界紀行ものもドキュメンタリーなので、ああいった作品の印象が強いのかもしれないが、冗談ではない。アレだって、創り手がいいトコ抜きでテキトーにつなぎ合わせた産物に過ぎない。客観的でも何でもないんだよ!

……ホント、いまだに、単純な思い込みがまかりとおっているから、困る。
まぁ、ムーア自身も、「コレは(いわゆる客観的事実を列挙した)ドキュメンタリーだ」とインタビュー等でハッキリ発言してしまっているから、かなり「誤解」を与えてしまうんだろうな。ムーアの信ずるところを元に、編集作業が行なわれているんだ、彼の目線による映像作品でしかないに決まってるじゃないか。どこが客観的なモンか。こんなシンプルなコトが、どーして、わかんねぇんだ!?

いかに「客観的事実を列挙」したところで、創り手によって「編集」されている時点で、完全なる事実のみが、完全に客観的に映し出されるワケないんだよね。監視キャメラの映像でも、野球中継映像でもないんだ、ヒトが回したキャメラで撮られた映像のつなぎ合わせなんだ。いや、どんな映像だろうと、ヒトの手が加わってない映像なんて存在しないんだ。要するに、この世にホントに完全に第三者的な映像なんて、まずあり得ないんだよ!
とにかく、映像が編集された恣意的でしかないメディアだという「常識」をわきませてから、モノを語って欲しいと思う、マジ(嘆息)。
オレがむかついているのは、そういうシンプルなトコだ。根本的な地点で物事がわかってないクセに、ナニを云おうが書こうが、ムダムダ。そんな意見・評論・コメントだのをいくら見聞きしても意味ない。物事は万事、根本からキッチリ、その成り立ちを見極めてから語ろうぜ、な?
追記。
上記は、創り手側のアプローチをしっかり見極めて、映画というものを語りたい、一映画狂の駄弁。
キャメラで撮るということ」に関して、プロとしての的確明晰なる御指摘が、id:taideomouhibiさんの<はてな>上にて読める。どうぞ、御参照あれ。
http://d.hatena.ne.jp/taideomouhibi/20040903#p1


「本気」で映画や映像に関して語りたいなら、実のところ、観客側に立ってのみモノを云うだけでは、不充分極まりない。書籍等で仕入れた知識で安心せず、映画・TV・CM界、どこでもいい、現役で活動されているプロに直接会い、その謦咳に接されたい。真の見識は、ナマで肌身で体感してこそ得られる。
伝手や手段など、いくらでもある。というより、それなりのコトを語りたいなら、それなりの経験と苦労が必要、段階を踏まずして何事も語り得ず、というコトだ。
業界を含め、不勉強にして不遜きわまりない、安易なる意見表明ばかりが目立つのは誠に、嘆かわしい。トーシロならトーシロなり、門外漢なら門外漢なりの、身の処し方、言動の仕方というモノがあるというコトだ。キツい物言いだが、事実である。餅は餅屋に任せろ、素人がプロに意見するなら、相当なる覚悟が必要と申し上げたいまで。オレはおのれの「分」くらいはわきまえたい。思うところを述べるのは、それからでいい。
もちろん、かつて映像仕事に関わっていたクセに、見当違いもはなはだしい誤解を招くたわ言を抜かすヲタキングみたいなヒトもいるから、注意は必要なのだが。例えば、井筒和幸の意見も、ドキュメンタリーのドの字も知らない、ただのおバカな<映画屋>のゴタクでしかなかった。個人的に知るかぎり、邦画界の現役監督で、マイケル・ムーアについて、まっとうなコトが語れ、書ける人材は二、三もいない。『誰も知らない』の是枝裕和監督はそのひとりではあろう。仮に是枝氏の発言にも満足いかないとすれば、それは日本において、もはや人材は皆無というコトだ。まぁ、皆無だからこそ、小泉のような外道が横行し、石原慎太郎のごとき畜類右翼が醜怪なる雄叫びをあげ、マスコミは腰砕けにもヤツらの足先を舐めているワケだが。