ブッシュ大統領候補指名受諾演説:オレたちも被害者、評論家ぶる前に、貴君、怒り、ありやなしや? 

……いま、ブッシュの大統領候補指名受諾演説を横目で見ながら、書いている。
ケリーが大統領になっても、ナニも変わらないとしたり顔で語るヒトがいる。
なるほど、たしかに、近年の民主党の対世界戦略は共和党とさほど変わらないし、なによりケリーはイラク戦争に支持表明を出してしまっている。しかし、ひとつ肝心な点が変革される可能性がある。
政権が交代すれば、利権構造が変わる。利権構造が変われば、政策にも多少なりと変化は出る。そのことに、期待は持てないか?
大体、いかな識者であろうと、将来、いや明日のことがすべてわかる者なぞいない。神でも仏でもないのに、11月2日以降、アメリカで、世界で、ナニが変わるか、そんなコトが完全予想できてたまるものか。
ぶっちゃけ、結果的に変わらなくても、いいのだ。
しょうがない、それが運命なら、あきらめるさ。
だがな、ナニを望みも、ナニもやらず、ナニも感じずして、今からあきらめたくないんだ。
オレたちにできるのは、変わって欲しいという望みを抱くことだけだ。
もちろん、変わらないことを望むのも自由だが、変わることを望んで、失うモノがあるかね?
オレも無知じゃねぇ。
民主党政権になれば国益重視で、日本には打撃となる局面もあろう。フジテレビ等、一部マスコミが『華氏911』批判報道を行なっているのは、そうした理由も背景にあろう。
だがな、どうせやられるかもしれないんなら、少しでも「希望」があるほうにオレは賭けたいんだ。そのためには、政権が変わる必要もあるってコトだ。
悲観的な予想も強い。でも、たとえ徒労であっても、オレは「変わるかもしれない」という希望に賭ける。
だから、ムーアを支持する。ブッシュを、小泉をひたすら忌む。
確言するが、この変革への「希望」という、オレにとっての大々命題の前に、
華氏911』が捏造だのなんだの、そんなのは映像の表現上の問題でしかない、些末なコトなのだ。
華氏911』自体は映画でしかない。アレを否定するも肯定するも、それは自由どころか、個人の勝手だ。悪口なんていくらでも云える。
出来不出来なんて、本質的な問いかけでもナンでもないんだよ。ハッキリ云ってお角違い、ただの揚げ足とりだ。
華氏911』自体が、クズでもあろうと傑作であろうとどうでもいい。
オレは、力作だが、傑作じゃないと思う。
だが、そんなコトは見る前から、気にしていない*1
問題は、あの映画で語られたことをどう思うか、それだけなんだ。
ブッシュの喜劇役者ぶりに気をとられすぎて、「本題」を見失ってはいけない。笑うしかないほどの、醜悪にして、陰惨なる現実が、オレたちに突きつけられているのだ。ブッシュの可笑しさのみ語るのは、ディナーのメニューだけで満足し、ナニを食べたか知りもしないコトと同じだろう。メシはとりあえずうまければイイとも云えるが、結果的に栄養にならず、健康を害するものを食したとしたら、基本的に意味ないのだ。


華氏911』が語ってるのは、世界の人々が知ったニュースの寄せ集めでしかない。ブッシュとネオコン一派の陰謀ばかりがクローズアップされているが、その真偽を問う以前の問題を、問いかけている。世界中が目撃した悲劇について。
ブッシュはテロへの報復と称して、アフガニスタンの、イラクの、罪なき人々を虐殺した。幼子の頭を吹っ飛ばし、腕を脚をもぎとり、生きたまま、焼き、押し潰し、引き裂いた。
マトモな人間にできるワザかね? 戦争だからって、ただの間違いだからって、許されるコトかね?
ブッシュを支持、いや、「肯定」することすら、罪なき人々の虐殺を支持するコトと、実質、同じだ。
アメリカ人がブッシュの虐殺行為を支持するのは、セプテンバー11で同じことを国民がされたからだが、犯人はまだ逮捕されていない。テロリストと全く関係ない市民の虐殺が続けられるばかりだ。無実の人を殺すことが、戦争だからって、許されるかね?
先に書いたように、今回の大統領選は、日本人どころか、おそらく地球すべてのヒトに、関係あるコトだ。
たかが(と、あえて云う)フライング/やり過ぎな映像編集をしたってだけで、デブで見苦しくてうっとうしい映画監督ってだけで、ムーアを憎むかね?
それが、結果的に、虐殺者を肯定する行為につながるとしてもかね?
よーく、考えよう。
お金よりも、あるいは、命よりも大事な、信念の、「こころ」の問題だよ。
たかだか映像の羅列が、完全に事実かどうかなんてコトが、虐殺の肯定否定よりも大事な問題かね? 意見は表明されてるじゃないか、それを聞いたかね?
マトモな神経の持ち主なら、わかりそうなモンだ。
ヲタキングはじめ、安直なる『華氏911』批判者はそのへん、わかって語っているのかな? あるいは、単に割り切っているのかな? 
ぜひ一度、聞いてみたいモンだね。
ま、一言、「問題が別」だって云うだろうが、そんなコトじゃ、オレは信用しない。
ヲタキングなぞは、自分が、あるいは家族が殺されるまで、おのれの利害得失だけで、すべてを判断し、語り続けるだろう。
ゲッベルスだのをあさはかなヲタ知識だけで持ち出してね。マイケル・ムーアナチス宣伝大臣じゃねぇ、ただのデブな映像作家だ。なにより、ゲッベルスは虐殺者だ。ムーアはあの図体と性格では人ひとりも殺せまい。
要するに、世界で起こってる事態を、肌身で感じ取るコトができないんだろうな。
あくまで、おいしいネタとして語れるのが嬉しいし、おまけにギャラがもらえて、てめえの頭の良さも誇れて、ホクホクするだけなんだろうな。
そんなスタンスや発言が、一体、誰を泣かせるか、そのことについて、考えてみるがいい。
セプテンバー11と報復戦争の犠牲者、テロリストにも、直接、聞かせてやりたいね。
きっと、無事じゃいられないね。



……ココまで書いても、ナニも感じなかった、なんて無感動、つうか感情をとにかく押し殺すことだけに美徳を感じるなんてヒトは、首を縮め、肩をすくめ、見ざる聞かざる云わざるで、長いものに巻かれて生きればいい。それも、完全に自由だ。
ヒトラーだって、ポル・ポトだって、民衆に支持されたんだ。ブッシュだって支持されるだろう。オレはいま揶揄した物言いをしてるが、それはオレの勝手でしかない。好きにするさ。非難もしない。敬遠し、忌避するだけだ。
ただし、あんたは、世界のどっかで、幼子を確実に泣かせるだろう。
それだけは保証する。
悲劇に泣きも怒りもできないというだけで。
変わる可能性すら、望みもしないというだけで。
ただ、罪人を野放しにする無力な笑いを浮かべるのみ。
神か仏に、なったつもりなんだろうね。


「見る」とは、「知る」ことだ。
「知る」は、「苦しみ」だ。
すなわち、「見る」とは、「知る」という苦しみを引き受け、
自らも「痛み」を共有するコトなのだ。
華氏911』を見たことで、なんら「痛み」を感じなかったとしたら、それはおそらく、本気で見てはいなかったというコトだ。

オレは映画を見ながら、ブッシュとネオコン一派の醜悪さに笑い続け、
あまりの可笑しさに腹が痛くなり、涙が出た。
でも、気付いたら、歯ぎしりしすぎで口が切れていた。
指先が座席を握りすぎて白くなっていた。
そして、権力者の都合で、心身を翻弄される、
貧困階級出身のアメリカ人兵士の姿に、泣いた。


フツーのヒトでありたいなら……
いくら、怒り、泣きわめいたっていいんだぜ。
あきらめて笑ってしまうのも仕方ない。
それも、「痛み」を忘れ、やわらげる手段だから。
でも、「希望」は持つに、越したことはないぜ。


*1:作品の完成度についても、冷静に論評する自信はあるが、いまは正直、する気が全く湧かない。先に書いたように、オレは最初から、本作を通じて、ブッシュによって先導された、ポスト911の世界を垣間見たいと思って、劇場に赴いたからだ。業界ゴロのエセ映画評論家じゃあるまいし、作品の出来不出来だけを鬼の首とったようにとうとうと語るのは、嫌味このうえない仕儀としか、個人的には思わない。少なくとも、イキな行為でも、賢明なる態度でもなんでもないと断じる。おそらく、ほとんどは、911のごとき厄介で面倒な問題を語るのが、ベタで格好悪いと思ってるだけだからだ。わかるかね、映画を見るにしても、一番大事なのは、「評論する」コトなんかじゃない。おのれが、映画からナニを受け止め得たか、それだけがすべてなのだ。何度でも繰り返すが、素寒貧映画ライターだのバカ評論家や識者を気取って、作品の出来だのをいかに論じたところで、しょせん業界ゴロ級のくだらぬ駄弁にしかならぬ。映画は体験し、感じるものだ。もちろん、単なるネタにもできるが、ネタとして語るだけならば、貴方にとって、映画はそれだけのモノでしかなかったというコトだ。もちろん、それでも問題は一切ないが、「こころ」のありかを探られるコトはあろう。それだけは云っておきたい。