チャールズ・ブコウスキー「ポスト・オフィス」(坂口緑訳、幻冬舎アウトロー文庫)

30616155.JPG

ああ、郵便配達人のやることって、手紙を突っ込んでは女と寝ることだったのだ。この仕事は、おれに向いている。もう、絶対に、絶対に、絶対に。

元来、オレはやさぐれたヤツじゃなかった。でも、いつの間にか自他共に認めるボンクラになっちまっていた。「無頼」への憧れは男にゃ珍しかないが、いざ自分がその境遇になってみると、初めていろいろ見えてくるモノってのが、ある。人間、てめえ自身の肌身で味わってみないと、わからねぇコトがあるのだ。ボンクラになってみて、オレは他人のおためごかしな物言いや素振りが、見るのも聞くのも嫌いになった。特に、おのれの才覚を誇りにするだけの、自己顕示欲のみ透けて見える、 エセインテリどもの浅ましい書きざまを見ると、ひたすら虫酸が走る。オレたちが感動するってな、脳味噌のシワが覘き見られるからじゃねぇんだよ。ハートに触れられるからなんだよ。
ブコウスキーはボンクラ向きの小説家だ。この親爺の文章にゃ、おためごかしなんてカケラもない。喜劇も悲劇も、性も暴力も、労働もサボタージュも、何もかもがありていに、そのまんまの形でさらけだされてる。
おのれが欲するまま、本能のまま、生きるコトを決められたら、ありとあらゆる理論武装なんて無意味だ。気取りも気後れも必要ない。ただ、そのままで、在ればいい。
もちろん、こいつはなかなか難しい。誰にでもできるこっちゃない。世間で生きてりゃ、縛られ、巻かれ、抱かれて流されたほうがラクなコトのほうが多いんだ。ま、でも、いつまでも誰しも、受け身でいられるワケもない。いつか、どこか立ち止まらされる瞬間がやってくる。
しがらみも見栄も矜持も何もかも、すべて一切合切引き受けて、ありのままの自分を見失わずいられるかどうか。そんな折りに達したい境地、そんな風に生きられるかもしれないヒントが、ヤツの小説にはあるような気がする。