トム・クルーズ『マグノリア』(ポール・トーマス・アンダーソン監督)

目下オレの極私的偏愛監督、誰が呼んだか通称PTA。とにかくダントツで同世代感覚*1のシャシンを撮ってくれている。他人と思えないんだ、ホント。
まっすぐな豪速球びゅんびゅん9回裏まで投げ続けたあげく、最後の最後、二死満塁2ストライク3ボールまで追い込んだ土壇場で、大暴投なのか敬遠なのか、はたまたルールブックにも載ってない星飛雄馬の大リーグボールみたいな魔球を投げたのか、観客には正直ナニが起こったかよくわからんまま、なぜだか両軍ナインが皆感動して抱き合って泣き崩れている様を見せつけられて唖然として試合終了…てな具合の(<どんな具合だ)、トンデモ展開の群像劇。
ブギーナイツ』でやられたオレは、PTAの新作の情報を聞きつけるや、公開前からワクワクしきり。試写にも行ってみたが、満杯で追い返され、それでも業界での期待度の高さがわがことのように嬉しかったりして。で、公開してからしばらく経って、御贔屓のコヤ、立川シネマシティに駆けつけた。
いやぁ、参ったねぇ、参ったよ。右隣の生真面目そうなネェちゃんは中盤からクライマックスまでとにかくハンカチ握りしめ、しくしく感泣し通して、ところがあのシーンを見るや凍りつき、その後は無言、凝然とした表情で立ち去った。左隣のカップルがというと、こっちも基本的にはウケていた。でもこっちのネェちゃんは冷静で、「こんな終わり方反則だよぉ〜、こんなのなら何でもアリじゃ〜ん?!」とニヤニヤしつつ文句ぶーたれて。いやぁ、どっちの反応も正しいよ、きっと。オレはと言えば、久方ぶりに映画が終わってもしばらく席を立たず、すげぇモンを見た、という感動にただ浸ってた。
間違ってるけど正しい映画、そんな感じもしたりする。そんな映画を3作も続けて撮り続けたPTA、彼に対するオレの親愛の情は、昨年公開の『パンチドランク・ラブ』でついに極まったわけだが、それについてはまたいずれ。


ところでさ、いい機会だから書いておくけど、PTAを評価するしない、好き嫌いはともかく、奴さんがマーティン・スコセッシロバート・アルトマンのフォロワーでしかないなんて、いかにもシネフィル的観点でしかねぇ偏った見方だけはやめてほしいもんだよな。大体からして、先達のシネアストのワザを巧みに会得して、それを小出しにして自作に援用するような、そんな器用なタマじゃねぇと思うし(笑)作品見てもわかるし、経歴調べるか、インタビューでも読めばそんなのわかるだろって。
不思議な話なんだが、映画を何万本見ていようと、個々の映画人の持ち味の微妙な違いをかぎとれないシネフィルって意外と多いんだよな。そういう仁は大体において秀才タイプ、普段から頭でっかちな勉強しすぎで、何でもかんでも、てめえの脳味噌にあらかじめ詰め込んだ既製のパターンにあてはめて物事を解釈しようとするからそうなるんだろう。実例いくらでも知ってるから断言するけど、例えばロックとかバカにして聴いてないヤツに多いな、そういう輩。逆に、ロックでも何でもかんでもオタク的に吸収しすぎて、全部わかったつもりになって間違えてる親のスネカジリ大学院生&そのなれの果て系も多いけど、ま、似たようなモンだな。
禅問答じみたコトなんざ言いたくないが、何事も道を極めるには、その道について何でもかんでも知ろうとするコトより、いかに知るか、なぜ知るべきかといったコトを考えるほうが重要という言い方はできるかもしれぬ。抽象的な言い方は好きじゃないし、達観したような言動もしたかないが、要はおのれの身の処し方にすべてかかっているということなんだろう。知るよりも、知り方を心するべし、なんてな。

*1:邦画界だと清水崇監督や行定勲監督が同世代、彼らも好きだけど、作品世界はオレ的には遠い感じ。