向田邦子「花の名前」(「思い出トランプ」新潮文庫所収)

物の名前を教えた、役に立った、と得意になっていたのは思い上がりだった。昔は、たしかに肥料(こやし)をやった覚えもあるが、若木は気がつかないうちに大木になっていた。(略)
女の物差は二十五年経っても変わらないが、男の目盛りは大きくなる。

……すげぇ一文だ。背筋がぞくり、とする。
ウチの実家では、チャンネル権は昔からオカンが握っていた。ガキの頃から、オトナ向けドラマにしぜんと親しむようになったのはオカンの影響が大きい。そんな環境のなかで向田邦子ドラマも見せられた。物心つかぬ頃でも、女史の作品は目にするたびに瞠目させられるモノがあった。「男目」の描写が微に入り細に入り強烈なヒトなんで、野郎にも凄みがわかりやすいというか……。詮無い願いだが、こういうオトナが心底から感じ入れるような、ホンモノのドラマを、またTVで見てみたいと思う。女性向けにナンでもカンでもわかりやすく、なんてTV屋も代理店屋もナメたコト抜かしてるらしいが、ハッキリ云って日本の場合、家庭の主婦より仕事しか能のないリーマン(女も含む)のほうがバカだと思うぞ? 上記の一文は女の愚かさを辛辣に斬った物言いではない。男にはわからない、冷厳たる現実が、女にはおそらく、時として、「見える」。そんな哀しさを描いているのだ。
女は現実が見えるから、哀しい。男は現実が見えないから、哀しい。どっちがいいのか意見はわかれようが、オレは今んとこ、生まれ変わっても男になりたいね。わからないコトだらけで、アホアホなほうが生きてて楽しいもん。