虎丸@「魁!! 男塾」(宮下あきら)

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使用例。

雷電「あ、あれは伝説の……」
虎丸「な、なにッ! し、知っているのか、雷電!!」
○×△□拳(※以下、うさんくさい説明がうんたらかんたら続き、最後はなぜか、今でも世間でおなじみのならわしや言い回しの語源は実はこの拳法にあり! などとダメ押しなオチがつく)
民明書房「○×△□」より

近所でやってる七夕祭りのにぎやかさに誘われて、街へふらふらさまよい出たのがウンのつき、ついつい家に帰りたくなくなって、マンガ喫茶にもぐり込み、読みも読んだり全34巻! 4時間くらいで一気読み。「男塾」ってこんなに長かったっけ? 6年半も連載してたんだなぁ。最後のほうとか惰性で書いてるとしか思えず、飛ばし読みしまくりだったけどさ。大体さ、(いちおう)主人公の剣桃太郎って一体何者だったんだよ? 一度まっぷたつにされながら甦った藤堂ナントカって男塾最大の敵の最後のヘタレぶりも意味不明だし。
連載時、最後まで読んでいなかったのがずっと心残りで、積年の宿願(?)を果たしたワケだが、かえって謎が謎を呼んでしまったのであった。やっぱ、いいトシこいてから少年マンガなんて読み返すモンじゃねぇってコトかな? 

「わしが男塾塾長江田島平八である!」

……それにしても「キン肉マン」(あッ! コレも最後まで読み切ってねぇや!)に代表される、昨日の敵が友となり……的な「週刊少年ジャンプ」ならではの格闘技モノお決まりの展開、いつ頃から始まったんでしょう? いや、古くはそれこそ立川文庫あたりから、仇敵同士が最後は恩讐の彼方に友情で結ばれる…てな物語展開、古来より<男のロマン>として、古今東西存在しているんだろうが、「ジャンプ」はその究極形態。そりゃ、やおいもハマるわ、てなモンで。


ところで、話が反れて広がるが、「ジャンプ」に代表されるように、マンガにせよ、映画にせよ、ドラマにせよ、日本は異常に<キャラクター>というモノへの執着が見られるように思う。海外でもコミックやベストセラーから生まれた不滅のヒーロー的なキャラは腐るほどあるが、日本人のハマり方は度を越しているような気配。
例えば、『踊る大捜査線』大ヒットの要因は、見るからに低能ヅラの織田裕二*1人気なんかじゃもちろんなく、青島はじめ<キャラクター>配置がマンガ/アニメチックで異様にわかりやすく、ヲタっぽくハマりやすかった、という点に尽きるとオレは思う。実際、監督&脚本家コンビは「ガンダム」や「パトレイバー」等の影響をインタビューで公言してるし。
要するに、生身の役者としての魅力よりも、いかにキャラにハマれるか、がなにより重要視され、つくられていたワケ。スリーアミーゴスとか、いかにもな親爺キャラだけど、あの「“いかにもありげ”さ」がウケるワケよ。
同じTVドラマでもアメリカの『ER 緊急救命室』あたりとは、このへんが決定的に違う。『ER』の場合、先にキャラありき、ではなく、生身の役者あってのキャラなんである。マークはアンソニー・エドワーズ、ダグはジョージ・クルーニー、キャロルはジュリアナ・マルグリーズでしかあり得ない。その「あり得ない」度のケタが、『踊る〜』とは違う感じがする。
このへんのテーマ、オレは以前から<キャラ萌えの国に生まれて>てなタイトルで一度評論でもぶちかましてみたい…なんて夢想していたんだが、なんだか、ヲタキング岡田みたく文化人気取りで小生意気なコト抜かすなんざ気色悪いし、最近はキャラクター・ビジネスがどうこうとか、世間的にもコンテンツとしてごく当たり前に認識されてきてるみたいなんで、もういいや、と諦めムード。


*1:『卒業旅行ニッポンから来ました!』撮影時におけるスタッフ解任の暴挙、映画好きならよもや忘れはしまい。もっとも、被害にあった方はその後、世界的巨匠となった監督の右腕となり、業界でキッチリ仕事できているらしいから、不幸中の幸いと云うべきか。『踊る〜』関連でも悪評ばかり伝え聞く(例:媒体に写真を全く出さない等)。本人もバカだが、それ以上に取り巻きが最悪らしい。