映画は「見る」モノで、「読む」モノではない。

ずっと以前から感じていたコトをメモっとく。映画ってのはとにかく、「画」(え)でどこまで語れるかが全てで、「画」ができていない作品はダメで、それが不得手な監督には才能がない、ってのがオレやオレが信じる仲間内の共通認識なんだが、コレ、実はなかなか難しいテーマではあって。具体的にあの映画のあのショットの画、あれこそが真の映画なんだよ! という具合にいろいろ述べたてることはできるのだが、そういう画をどんな具合に、どこまで「味わって」いるか? というコトは、実に個人的な、曖昧な領域の問題でもあるので。
いずれにせよ、映画を文芸評論風に小難しい用語使って語っている評者は、映画を読書と同じレベルで単に「読んでいる」としか思えない。そのような仁は、おそらく、映画を本当に「見る」ことなぞできてはいないのだ。
……正直、さして興味もない癖に、ネタふりだけしてしまったかも。インテリきどりに悪口言いたいだけなのに(爆)要はたかが映画、大層な物言いを試みたりとか偉ぶってみる前に、しっかりてめえの眼(まなこ)見開いて、目の前の「画」のひとつひとつを心から味わってみな、ってコトを言いたいんだけどね。出されたメシを食って「美味しんぼ」ばりにゴタク並べたいなら、ホントはメシの素材から調理法から一通りはわかってないといけないのに、いきなり大上段にふりかぶろうとする困ったチャンが多くて困るよ。ま、他人事じゃないけどね。オレはてめえがわかる範囲のコトしか語ってないつもりだけど、こういうコト書く時点で何様ではあるわけだしね。
「大丈夫、リクツじゃないんです!」(<羽佐間道夫調で)