かさちしゅう。

眠れないので目下の原稿仕事用に小津安二郎のドキュメンタリー『生きてはみたけれど』をビデオで再見。素晴らしいね、やっぱ。いや、内容もお弟子さんの方らしく、生真面目に師たる人物の足跡を追った、という感じで好感あふれかえりまくりなんだけど、それ以上に、やっぱ小津という人物の生きざまがさ、もぅあまりにも至高というか、香気にあふれてる趣きがあってさ、見てて頭が下がってくるのね。今回のネタの中心は笠智衆さんなんで、『東京画』あたりも久々に見直さないといかんかなと。


ところで、どうでもいいコトだけど、最初編集長さんに「かさちしゅう」って言われて泣きたくなったよ。いや、オレも最初は読めなかったけど、それは中学生までの話。相手は50がらみのオッサンでっせ。しかも雑誌編集長で「りゅうちしゅう」も知らんとは。一体どういう人生歩んでこられたんだか(呆)。
まぁ、間に入る人なんて関係なし、読者に通じればいいわけだし(知らない人にもわかるように書きますけどな)、オレは原稿書けて銭もらえればそれでイイんだけどね。しょせん、ただの「仕事」だからさ、おのれがやるべきコトをやればイイだけだわね。
ただ、こんな仕事ではこの雑記の題名のように、「死ぬ」なんてワケには絶対に参らぬ、というだけだ。何事も自分のためだから手は抜かないけど、むろん命なんざ賭けないし、魂もこめないってこってすな。
「士はおのれを知る者のために死す」ってな、そういう意味です。嗚呼神よ、願わくば我に、いつか「死に場所」を与えよ。