続・吹替礼讃

……以下、洋画は絶対字幕版しか見られない、なんて字幕主義者の方はどうぞ飛ばしてください。どうせコレも吹替アテ書き、字幕はつかないから(笑)。

近所に映画館がなかった地方出身の映画マニアのオレにとって、物心ついて以来、映画とはTVの洋画劇場で見るものだった。今でこそ映画は必ず映画館で見るべし! なんて思うようになったけど、一番見ていて安心するのは、いまだにTVの洋画劇場。
そういう意味では昨今じゃ当たり前になった字幕放映なんていまだ許せない。いくらタダだからって、ビデオやDVDと同じモンを放映するんじゃねぇ! せめてNHK衛星放送みたく、字幕をリニューアルするくらいはやってくれよ! 
TVの洋画は、吹替で流してこそ、番組それ自体の「意味」があるんである、うん。


ところで、吹替最大の強みとは何か?
コレについて語ったコメントではないが、ビートたけしが以前、ウマいことを言っていた。

「映画ファンでさ、ロバート・デ・ニーロの演技が凄いすごいなんて言ってる人多いけどさ、実はアレ、画面であいつの演技をずっと見てるんじゃなくて、ほとんどの人は字幕読んでるだけなんだよね。字幕しか見てないのに、あいつの演技を語ってるんだよ

さすがはたけし! 慧眼である。そう、現実的な話、画面と字幕の両方を同時にチェックするなんて芸当は、かなりの見巧者でも意識してやろうとすると難しいんである。ウソだ! と思うんなら、一度“意識”して鑑賞をお試しあれ。絶対、難しいから。

最近の洋画は映画館でも字幕が画面の下に出るようになったから、右隅にしか出なかったひと昔前よりは見やすくはなったとは思う。
でも、人間の情報処理能力なんてしょせん限界がありましてね。
映画館に行くと、ホラ、よくいるでしょ? 特に洋画サスペンスものが終わった後、
「ねぇねぇ、さっきの映画の犯人、誰だったの? ナニがどうしてああなったの? おせえて、おせえて?」
……なんて、連れの男に大声で質問しまくってるバカ女が(笑)。この手合いは、映画館の中で見てる最中も忙しく隣の男に質問攻めしてる可能性高いから、バカっぽい女性の隣に座るのはやめましょうね、皆さん。

しかし、オレにしたところで実はこのテの<まれにみるバカ女>を笑えないんである。筋は追えていても、全てのシーンを把握できているわけではないから。字幕があると画面だけに集中することはなかなか難しくなるんだよね。

むろん、そうはいっても腐っても映画マニア、それなりにすれっからしの「見巧者」ですから、後でストーリー書け、だとか言われてもまず間違わずに書けますけどね。ダテに10何年映画紹介記事何千本も書いてたわけじゃねぇ。いちおう、そういうバックボーンがあって語ってるという事実を言いたいまで。そこんとこヨロシク!

重ねて強調したいのは、(オレなぞはともかく)熟練者の目をもってしても、映画の画面と字幕の両方追うのは結構難しいという、歴然とした事実。オレ自身、このコトをおそらくは誰よりも身をもって体験/認識しているつもり。
ハスミンの名言もじって云えば、
「貴方に映画を観ているとは云わせない」
なんである。マジで。
一般に、邦画のほうが採点が辛くなる要因も、オレはこのへんにあると思う。言葉がわかるってだけでなく、字幕を見ないで済むと、洋画よりずっと集中して観られるから、「アラ」も目立つ、というわけ。


で、ココから本題。だからこそ、オレは吹替にこだわる。画面に込められた情報はホント、字幕ではフォローしきれてない部分があまりにも多いことが、字幕版と吹替版の両方をチェックすればするほどわかる。よく言われるように、台詞の「ニュアンス」は字幕では伝え切れないことがあまりに多いのだ。いや、「ニュアンス」だけならいいのだが、ストーリー上の設定、人物背景といった重要な部分も、実は全然説明されてないコトが多いのである。
特に、アメリカ映画の場合、相手を評する際、有名人を引き合いに出して、「誰々さんみたい」と形容する言い方が結構多いのだが、コレ、よほどじゃないと翻訳されてない(もっとも、コレは吹替でも訳されないコトが多いが)。

有名なのは、ダイ・ハードブルース・ウィリスがビルで孤軍奮闘しているコトを、地上にいる黒人警官に知らせようとするシーンでヤツが叫ぶ台詞。

字幕:「てめえ、見えないのか!」
原語:「You !! Stevie Wonder !?(てめぇ、スティーヴィー・ワンダーかっつーの!)」

説明するまでもないだろうが、スティーヴィー・ワンダーは盲目の黒人R&Bシンガー。相手が黒人警官だから、あえてスティーヴィーの名前で罵ったわけ。いかにもホワイトトラッシュ(白人貧困層の蔑称)すれすれな白人刑事が口にしそうな台詞でしょ? 差別表現ではあるからあえてオミットされたの事情はわかるが、ジョン・マクレーンという主人公のキャラクターも語っている部分だと思うので、ホントはきっちり翻訳されるべきだと思う。
コレはほんの一例だが、吹替であればこういうネタも、うまくはめこむことは可能なハズなんだよね。


ストーリーも内容もわからなくてイイ、とにかく本物がしゃべってる声を聴きたいの! という向きもあるだろう。コレには反論しません。というか、オレ自身も、基本的には可能なかぎり「オリジナル」で鑑賞すべきと思っているから。違う人の声でしゃべっているのは聴きたくない、というのは当然のコト。
しかし、いくらオリジナルに過度にこだわったところで、本人がナニ話してるのかわからなければ、ホントにその作品を理解したコトにはならない、ってコトだけは、しつこく確認しておきたい。
……長くなってきたので、このネタ、いずれまたの機会に。
「今宵はこれまでにいたしとうございまする」(<若尾文子サマの声で)。