- 作者: 清水俊二
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1988/08
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ただ、ことあるごとに弟子・戸田奈津子を擁護する言葉が見受けられて鼻白む。日本が誇る往時のインテリ紳士も老境に到りて目に曇りが出たとしか思えない。「翻訳」ではなくいわば「超訳」でしかないと御大自ら断じるスーパー字幕への対処の仕方のみ評価していたのかもしれないが、それにしても。。。ま、実情はたぶん、すでに御老体だった氏が、「弟子」には女性しか選ばなかったあたりにあると見るが。意外や、というか、正しく「好き者」でもあられたようなので(笑)
吹替の権威・額田やえ子さんという最良の人材をなまじ知ってたからいけなかったのかも? もっとも、吹替については全くといっていいほどコメントしていない。翻訳家としてはどのように思われていたのであろうか?
スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』騒動の内幕がシメ。原田真人は監督としては全く評価しないが、キューちゃん作品の字幕制作だけは悪くないんじゃないかと思ったりしてるのだが、御大はキューブリックの「越権行為」と合わせて非難してる調子。
ところで、オレ自身は(極論かもだが)今後は字幕ではなく、吹替を増やすべきと考える。劇場公開の時点から、俳優たちに吹替で挑ませるべきではないかと。そうでもしないと、外国映画の「受容」の仕方、日本の映画ファンが抱える最大の問題のひとつ、映画を<見る>のではなく<読んでしまう>姿勢は変わらないのではないか? 耳で台詞の意味はわかりつつ、画面を注視できるのが一番望ましい。
観客の皆が皆、バイリンガルには絶対なれはしないのだから、吹替は最善の選択だ。ぶっちゃけ、字幕つけるだけのほうが安上がりだから業界は慣習を押し通してるだけで、実態は単なる悪弊とも思えるワケよ。
とにかく、吹替公開は洋画アニメ以外、フツーの実写でもどんどん増やすべきだ。ヨーロッパ映画とかほとんど、そのほうが面白いと思うぞ?