デニス・ホッパー@ツムラ

「アヒルちゃ〜ん♪」

ハリウッドが誇る“怪”男児デニス・ホッパー様の経歴。め〜ん♪

1936年5月17日アメリカ、カンザスダッジ・シティ生まれ。駆け出しの頃『理由なき反抗』(55)でジェームズ・ディーンと運命的な出会い。たちまち感化された彼はディーンの死後もその「反逆精神」を受け継ぎすぎたあまり、ハリウッドから追放の憂き目に。
 69年ハリウッドアウトサイダー同志としてつるんでいたピーター・フォンダと組んで、革命的映画『イージー・ライダー』(69)を監督・主演、一躍時代の寵児に。ところが、ふたたび主演・監督を張った野心むきだしの第2作『ラストムービー』(71)をめぐって、配給会社ユニヴァーサルとトラブルを起こし、またまた転落。
 しばらくハリウッドでは仕事ができず、国外のB級映画に出稼ぎ出演して日銭を稼ぎ、アルコールとドラッグ中毒に苦しむ日々が続く。この頃の経験を反映しているであろう役柄がティム・ハンター監督(デイヴィッド・リンチのAFI時代の同窓生でもある)の『リバース・エッジ』(86)だ。当時の出演作では、フランシス・フォード・コッポラの『地獄の黙示録』、ヴィム・ヴェンダースの『アメリカの友人』(77)が白眉。なかでも『アメリカの友人』は本人もお気に入りという。
友人ディーン・ストックウェルの助けでドラッグ中毒から立ち直った彼は、ある日偶然『ブルーベルベット』の脚本を読み、フランク役を熱望。ハリウッド有数の絵画コレクターで芸術通として知られるホッパーにとって、監督のデイヴィッド・リンチは一アーティストとしてもおめがねにかなう天才だった。かくしてホッパーは『ブルーベルベット』にて、酸素マスク使いながら4WORDSを連呼に次ぐ連呼、当時のリンチの恋人イザベラ・ロッセリーニをいたぶりまくり、80年代アメリカ映画史に残る、最高の悪役を大怪演した。
この年、同作と『勝利への旅立ち』で全米およびロサンジェルス映画批評家協会助演男優賞受賞。後者ではアカデミー助演男優賞にもノミネートされた。映画界の永遠の反逆児デニス・ホッパーは、ここに本格復活を遂げる。
「Let's Fuck!」
 以後、ショーン・ペンのたっての願いで演出のみを引き受けた『カラーズ 天使の消えた街』(87)を契機に監督業を再開、『バックトラック』(90年製作、95年に完全版を日本でのみ公開)『ホット・スポット』(91)『逃げる天使』(94)と作品を発表。『スピード』(94)『ウォーターワールド』(95)とハリウッド大作で年期の入った悪役として怪演も披露。21世紀後はさすがに鳴りをひそめているが、怪人として再々度の復活が待たれる。
日本では“アヒルちゃ〜ん”のおトボケ演技で茶の間の笑いを誘ったツムラのCMでもおなじみになったが、アレに至る経緯や、まさに波乱万丈であったのだ。
あるインタヴューでは件のCMについて聞かれるや、「あれはいい仕事だった。ギャラは一杯入ったし」とニヤリ。ホッパー様、構わないからどんどんカネを稼いで、趣味の絵画集めにいそしんでもらいたい。
「Don't Fucking Look At Me !」*1

*1:某映画監督本に載ってた経歴を勝手に書き写して改訂