日暮里、谷中、根津、吉原細見

そんなわけで、正午すぎに外出。日暮里で降り、谷中墓地を通って千駄木へ向かう。今日はお彼岸ということで、墓地は人で一杯だった。ふと目に入った徳川慶喜の墓というのに参ってみる気になって中に入り込んだら、途中で迷ってしまう。抜け出したと思ったら、千駄木の先の根津に出てしまっていた。路地散策も悪くない、とそのままそぞろ歩き。地元の人しか使わないであろうお寺の脇道の坂みたいな細道をふらりふらりと降りていく。見渡せばどこもかしこも路地ばかりな、いかにも下町な昔ながらの町並み。明治大正の書生になった気分でどんどん歩く。

およそ1時間後、ふぅふぅ言いながら、谷中イリアスhttp://neji.com/irias/>というアートな雑貨屋さんにたどりつく。そこで作品を展示している、知人のUsseyさん一家と1年ぶりにお会いする。栃木県宇都宮市から車を4時間ほども走らせて来られたのだという。おつかれさまでした! 
Usseyさんは見る人を童心にかえらせてくれるような、ハートフルでどこかおかしみたっぷりなチャーミングな作品を創り続けている素晴らしいアーティストである。数年前に不慮の病で亡くなったわが先輩の同級生でいらして、その縁でおつきあいをさせて頂いているのだが、お会いするたびに心が洗われる気になる。ポンちゃんというニックネームのついた小学校4年生の子を筆頭にした3人の娘さんがまた可愛らしくて、見ているだけで心が和む。3人とも目元は似ているが、性格も表情のつくり方も全然違うのが見ていて驚かされる。個性というものは間違いなくあるのだ。ポンちゃんは昨年会ったときよりずっと落ち着いた印象に。長女はしっかり者が多いですよね。奥様は3人も娘さんがいると、いろいろ目配りもしないといけなくて大変なこともおありでしょうが……。
通りは車の波。彼岸のうえに一昨日の休日が台風による大雨で外出できなかった反動だろう。言問通り沿いのジョナサンでの休憩におつきあい。3人娘が繰り出す“お食事ショー”は愉快なコト限りなし。子供の頃って何をするのも一大イベントだもんね。愚生自身はネガティブな気分も吹き飛ぶ心持ちがいたしました。しばらく、人とお話してないせいか、うまく会話ができなかった反省はあるんですけど。
鴬谷の手前までお送り頂いて、お別れする。
なお、Usseyさんの作品が見たい方はこちらで。音楽活動もなさっています。パートは名器スティック&ジェンベ(※アフリカンドラムの一種)。CD&イラスト童話集「赤い空には」は名作ですから、皆さん買いましょう!
http://www.geocities.jp/king_joe_jp/


さて、帰宅してもよかったのだが、このまま帰るのは惜しい気がして、道ばたの地図を見ると、「入谷鬼子母神の名前が。おッ、落語でおなじみの、音に聞こえた江戸名所、「おそれいりや鬼子母神」ったァここだったのかィ、なんて心中のつぶやきも突然江戸っ子べらんめぇ調になりやして、いそいそ出向きやした。しかしま、こいつァてぇしたこたァなかったねェ、でぇてぇ(大体)からして奥行きってのがまるでねぇってのがいけねぇやな。神社仏閣ってなぁ、雰囲気からしてありがたみがなきゃあいけねぇんだ、ずずッと入って目の前がすぐお社ってんじゃあ、調子もナニもあがりゃしねぇってもんさね。まぁ、奥まったトコにないぶん、お参りはしやすいっていう通いやすさ、親しみやすさってのも、あるんだろうがねぇ。
これだけじゃ久々に遠出してみた甲斐がねぇ。話のネタになるような、ドコぞ名所はねぇかいな。ここらでそんな名所ってぇと、はて、ナニかあったかねぇ……しばしつらつら考えて、はッと気付いて額をピシャリ。そうだそうだ、いいトコありますよ、旦那、いいトコが!
「ほぅ、そりゃどこだい」
「いやだねェ、旦那も。わかってるじゃありませんか、連れの俺っちの口から言わせるなんてな、イキじゃぁねぇやね」
「イキもナニも、わからねぇから聞いてるんだぃ。面白いトコかね、そこは?」
「面白いもナニも、ねぇ、旦那。旦那と呼ばれるからにゃあ、一度は行かずば男の恥よ、ってなモンでごぜぇますよ。とぼけちゃいけませんや!」
「……吉原かい」
にやり、と黙ってうなずく下男の彦市……って、いやいや、連れなんてハナからいやしねぇ、ひとりで落語風に頭の中で問答やってみただけでさぁね。


そんなわけで行ってみました吉原へ。いやナニ、銭の持ち合わせもありやしやせんし、くだくだ申し上げるまでもなく、ホント、ただ見に行っただけでごぜぇやす(汗)。
夕闇どんどん迫る中、道端の地図でなんとなく見当つけて、歩いていくこと数10分。ところが、テクテクどんどん突き進むも、ネオンもナニも、それらしい通りがなかなか現われねぇから驚いた。見回してもごくごくふつうな、下町のさびれた商店街。もっとも、うらびれ具合にそれらしい雰囲気はどことなくだが漂ってて、物憂げな顔した労務者風の老人やおっさんが自転車で通り過ぎていく。
ミニパトで路駐してる車をテキパキ取り締まってる婦警さんらを横目に、地図をもう一度よく見ると、近所に吉原神社とかいうのがあるらしい。たしかに、近くまでは来てるハズなんだよ、おかしいねぇ〜と気を取り直し、もう一度ひと回り。そのうち、<情報喫茶>なんてのが目に入ってきた。いかにも今から御出勤という風情の、いかにも水商売風、ミニスカ姿の色白なお姉さんも。
ふぅむ、近いよコレは! と、気分は川口浩探検隊。白骨はどこにも転がってねぇが、代わりに観音像に出くわした。江戸時代の大火ではかなくも亡くなった遊女たちのための慰霊碑らしい。そこから少し歩いたところにお社があり、そこが吉原神社。案内板に江戸以来の町並みの変遷が書いてある。なるほどねェ。時代劇でおなじみな、ヒラヒラ派手な小袖に身を包み、胸元まで白粉べったりな遊女の群れが「おにぃさん、おにぃさん、遊んでらっしゃいよ」……なんていう情景を思い浮かべて、通りを1ブロックほど進んだら、突然、目の前に毒々しい看板が目に飛び込んできて、黒服のおアニィさん方がずらり勢ぞろい。ギョギョッ! なんだ、ココだったのかい、と確認した瞬間、くるっときびすを返して後戻り。一部のおアニィさん方の目には入ったらしく、「なんだ、帰らなくてもいいのに」なんてつぶやきと失笑が聞こえたような。目ざといんだよね、あのテの稼業の人たちって。つうか、自転車乗ってお使い中の兄ちゃんには「お客かい?」って顔でのぞきこまれたり。いやぁ、商売の邪魔しちまったみたいで悪かったねぇ。
このテの呼び込み自体は、新宿・歌舞伎町歩いてたらナンボでもうるさく声かけられるから、今さら驚きはしないんだが、吉原みたく、いきなり風俗街が出現するとけっこうドッキリ、心臓に悪い。噂には聞いていたが、なるほど、さすがは悪所と言うだけあって、奥まった、人の目から離れた場所につくっていたんだねぇ。江戸幕府、そして現在の官憲の徹底した<管理>ぶりに、改めて感心しながらもその“陰湿”な態度にいささか怖気も感じる。「臭いモノにはフタをしろ」なんて、お上ならではのおためごかしなその態度が気に入らねぇや。
なんてコト考えながら、のそのそ、その場から遠ざかり、遠目に日本の代名詞たる一大歓楽街の様子をうかがう。夕暮れになるのに、タクシーや車(※吉原はふつう歩いていくところではなく、車での送迎がほとんどと聞く。江戸期からお上の政策であえて立地条件の悪い場所に押し込められた名残りというわけ)の出入りがちらほらあるくらいで、いかにも不景気っぽいムードが漂っていた。かつては企業が得意先の接待に使ったりしていたらしいが、今はそんなサービスをする所もめっきり少なくなってしまったので、日本随一の歓楽街もすっかり閑古鳥らしい。わびしい空気がたちこめてましたよ、なんとなくね。
江戸時代の遊び客が娼妓との一夜を懐かしんで振り返った場所とのいわれある、見返り柳を通り過ぎ、バス停<吉原大門>からバスに乗り込む。終点は南千住駅東口。予想以上に距離があった。南千住は、5年ほど前まだ自主映画を撮ろうとしていた時にロケハンのために来て以来だが、短い間に駅前の再開発が急速に進んでいるコトにビックリ。ちなみに、このあたり、江戸期は悪名高きかの<小塚原処刑場>があった所。地下鉄南千住駅脇のガード下に死者の霊を慰める観音像も立っている。最初に来た時はそれを知らずに帰ってきて、なぜかしばらく体が重くて不思議だったのを覚えている。疲れた、のではなく、「憑かれた」らしい(笑)で、気付いた途端、「南無阿弥陀仏」と手を合わせたら身がスッと軽くなったりしてね。霊は正体に気付かれると落ちる、なんて言いますが、ホントかもしれん、と思ったりしたもんだ。昨日は駅前にある歩道橋で写真を2、3枚だけ撮って、JRで帰ってきた。先週の『タモリ倶楽部』の特集でもやってたが、地下鉄・JRと路線が複数あるうえに操車場まであって、都内有数の鉄道マニア垂涎のスポットだったりするんですな。


仕事柄、家で終日作業しているコトが多いわけだが、たまに外に出て、終日ふらふら狂ったみたいに歩き回ることがある。てめえじゃコレを(モンティ・パイソンジョン・クリースに敬意を表して)“バカ歩き”と称しておりやす。はてさて、今度はいつ、どこに行こうかね? 暑さ寒さも彼岸まで、長い残暑もようやく終わり、“バカ歩き”にふさわしい秋がやってまいりました! やれやれ。