クロサワ嫌いでも、紹介記事くらいはキッチリ書きますってば。

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北野武ビートたけし)の『座頭市』がベネチア国際映画祭で再び栄誉に輝き、国内外で大ヒット、再び世界の注目を集める日本映画界。しかし忘れてはならない、たけしよりずっと以前に、世界を変えた最強コンビ“ミフネ&クロサワ”がいたことを! 三船敏郎は日本が生んだ最高の国際派スターにして、日本男児の鑑である。フジヤマ・ゲイシャ・ソニー・ホンダだけが日本じゃない、世界中から尊敬を集めた至上の名優、それが“世界のミフネ”だ。そして彼を世に出した“世界のクロサワ”こと大巨匠・黒澤明。その偉大さは今をときめくスピルバーグジョージ・ルーカスが伏し拝むほど。“ミフネ&クロサワ”が世に出した映画全16作なくして、戦後日本は語れないのだ。伝説よ、いま再び甦れ!

●“ミフネ&クロサワ”−日本が世界に誇る最強コンビ伝説!
 巨匠・黒澤明が亡くなって、先日(9月6日)ではや5年。“世界のミフネ”こと三船敏郎は巨匠よりも約9ヶ月早く、1997年12月24日に世を去った。享年77歳と年齢的には大往生だったとはいえ、10歳上の巨匠に先立つ死を悼む声はいまだ絶えない。それもそのはず、“ミフネ&クロサワ”のコンビは、日本が世界に誇る、最大最強の生きる「宝物」だったから……。偉大なふたりの足跡をたどってみよう。


黒澤明との出会い−“ミフネ&クロサワ”伝説のはじまり
 48年、新進気鋭の監督として注目された黒澤明は、自身の第7作『酔いどれ天使で、当時新人俳優だった三船敏郎を、準主演の肺病やみのヤクザ役に抜擢した。戦後のスラム街で血反吐吐きながらもパワフルに暴れ回るヤクザぶりは絶賛を浴び、一時は東京中のヤクザが映画の三船と同じ姿を真似したという。こうして映画界に鮮烈な登場を果たした三船は、以後、黒澤明と組んで、映画界に華麗な伝説をつくりあげていく。
 三船は黒澤と組んで、『静かなる決闘』(49)では医師、『野良犬』(49)では刑事、『醜聞』(50)では画家と作品ごとに違うキャラクターに挑戦したのち、50年、日本映画史に燦然と輝く伝説的名作羅生門に主演。同作はたまたま出品したベネチア国際映画祭で、いきなりグランプリを受賞、世界で一躍話題騒然となった。戦後日本最大の明るいニュースと言うべき大事件だった。
 三船は平安時代を舞台にしたこの作品で、ふと町で見初めた美女(京マチ子)を犯しその夫(森雅之)を殺した罪で捕らえられる盗賊役を好演、一躍、世界で注目される。“世界のミフネ&クロサワ”伝説のはじまりであった。


●世界映画史上最高傑作『七人の侍』誕生!
 『羅生門』で競演した森雅之と再競演し、絶世の美女・原節子を奪い合う三角関係ものの文芸大作『白痴』(51)を挟み、いよいよ史上名高い『七人の侍』の撮影が始まった。日本各地で行なわれた撮影は、妥協を許さない巨匠・黒澤の粘りのせいでなんと1年以上におよび、製作元の東宝は巨額の予算超過のため経営が傾いたほどだった。三船は本作では百姓あがりの野生児な雑兵、菊千代役を大熱演、映画史に残る活躍で喝采を浴びた。


●名作傑作続々登場、“ミフネ&クロサワ”絶頂期!
 『七人の侍』は国内外で大絶賛を浴び、ついにハリウッドで『荒野の七人』としてリメイクまでされた。『羅生門』以降、黒澤作品は世界中に影響を与え、多くのリメイクや亜流作品を生み出したのである。
 文豪シェイクスピアの「マクベス」を翻案した蜘蛛巣城』(57)では、三船は悪妻にそそのかされ、国を乗っ取る悪城主をギョロ目ひんむいて怪演。最後、全身矢で射られてハリネズミ状態になって立ち往生を遂げるシーンは観客を驚愕させた。
 続く『どん底』(57)はもゴーリキーの名作文学の日本版。三船は気ばかり強い泥棒役で、型破りなだけではない、味わいあるキャラクターを演じた。
 翌58年、隠し砦の三悪人はうって変わって、戦国時代を舞台にしたいわゆる敵中突破ものの娯楽大作。スター・ウォーズ』の元ネタになった作品としても有名だ。三船の豪快な武者ぶりはますます絵になる一方で、今見ても痛快このうえなしだ。
 黒澤プロダクション設立後第1作が『悪い奴ほどよく眠る』(60)。三船は一転、ここでは汚職事件で死んだ父の復讐を果たす男に扮し、現代劇でも存在感を見せた。


●世界の映画を変えた二大傑作『用心棒』『椿三十郎
 61年、“世界のミフネ”のイメージを決定づけた大傑作『用心棒』が登場する。とある宿場町にふらりとやってきた、「桑畑三十郎」を名乗る浪人侍が宿場に巣食う悪党一家二組を戦わせて破滅に追い込むという痛快アクション時代劇である。ぼさぼさ頭に無精髭、肩をいからせてのっしのっしと歩き、懐ろ手でアゴをやたらさするという、一度見たら忘れられない三船演じる「桑畑三十郎」は、彼のトレードマークとなった。三船、当時41歳。役者としてまさに脂の乗った一世一代の当たり役となった。
 豪快極まりなくかつ素早く、本当に人を斬っているように見えるリアルな三船の殺陣の迫力たるや、素晴らしいの一言。大好評で製作された続編椿三十郎では、ラスト、仲代達矢との一騎打ちが世界中に衝撃を与えた。この時あがった血しぶきシーンを境に、世界のアクション映画において、「流血」が登場するようになった。三船の刀ひとふりで、映画が変わった瞬間であった。


●『天国と地獄』『赤ひげ』でコンビ終結、世界を変えたふたりのその後……
 世界を変える傑作映画を世に出し続けた“ミフネ&クロサワ”コンビだが、実際のところ、その緊張関係は限界に来ていた。誘拐事件をスケール豊かに描いた犯罪映画の傑作『天国と地獄』(63)、そして、江戸時代の人徳あふれる名医を描く『赤ひげ』(65)でコンビは終止符を打った。
 三船はその後、米国映画『大平洋の地獄』(68)で、名優リー・マーヴィンとふたり芝居を熱演し、絶賛を浴びた。また、異色西部劇『レッド・サン』(71)では、当時人気絶頂だったアラン・ドロン、先頃亡くなったチャールズ・ブロンソンとトリオを組んで、「桑畑三十郎」ばりのサムライを堂々と演じた。ブロンソンは『七人の侍』のハリウッド版リメイク『荒野の七人』で、頼もしい力自慢のメキシコ男役を好演しており、三船との縁は深かった。三船は日本でただひとりの国際派スターとして、ブロンソンリー・マーヴィンといった米国俳優からも一目おかれる存在だった。彼らと酒を飲み交わす姿がサマになるのは三船だけであった。
 三船は63年に自身の会社、三船プロダクションを設立、のちに隆盛を極めるスターの独立活動の先鞭をきった。72年にはTV界に進出、荒野の素浪人で「桑畑三十郎」ならぬ「峠九十郎」なるヒーローをひょうひょうとこなしてお茶の間でも喝采を浴びた。しかし、夫人との離婚訴訟問題等スキャンダルも起こし、晩年はふるわなかった。


●二度と現れぬ歴史的コンビ“ミフネ&クロサワ”よ、永遠に!
 いっぽう黒澤も三船とのコンビ解消後は苦労の連続だった。戦争大作『トラ! トラ! トラ!』の降板劇、自殺未遂事件、『影武者』での勝新太郎との対立問題等で物議をかもした。超大作『乱』(86)を撮り、90年には米アカデミー名誉賞まで受賞したが、三船とのコンビ全16作以上の名作は、結局世に出すことなく終わった。
 豪快な性格で知られた三船だが、恩人・黒澤の前では直立不動、正座が普通と、生真面目極まりなかった。撮影中、ストレスのあまり、深夜黒澤邸の周囲を愛車で爆走し、「黒澤のバカヤロー!」と絶叫したとも聞くが、ふたりの信頼関係は終生変わらなかった。
二度と現れぬ歴史的コンビ“ミフネ&クロサワ”よ、永遠に!
[増刊週刊実話2004/10/18号]