座頭市ってホントにモデルが実在していたらしいね。

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ビートたけし主演・監督版『座頭市』が目下絶賛公開中。言うまでもなくコレ、不世出の銀幕スター、“カツシン”こと勝新太郎一世一代の当たり役にして映画史に残る名作シリーズのリメイクだ。本作公開を機に、勝新太郎主演によるオリジナルシリーズが『DVD座頭市全集』として初DVD化。この秋は時ならぬ座頭市&カツシンブーム到来の予感!!


●日本映画史上最強キャラ、カツシン座頭市


 日本映画史上最大最強のスター、カツシンこと勝新太郎が亡くなってはや今年で7回忌。“世界のキタノ”ことビートたけし北野武が自作自演で勝新太郎の一世一代の当たり役『座頭市』のリメイクを完成、ベネチア国際映画祭にも出品され、国内外で話題を集めている。
 世間では座頭市イコール勝新太郎というイメージが定着しているが、それもそのはず。『座頭市』シリーズは映画は全26作、テレビシリーズはちょうど全100本。シリーズ第1作『座頭市物語』(62年)以来、カツシンは亡くなるまで40年近く、映画・テレビ・舞台で座頭市を演じ続けた。これほど息の長い人気を誇ったシリーズは世界映画史上でも例がない。


●異色のヒーロー・座頭市、その誕生秘話


 盲目の按摩ながら居合い抜きの達人という荒唐無稽な異色のヒーロー、座頭市。このキャラクターは原作こそあるが、基本的には一から十まで、カツシン自身が創造したものだ。
 栄えある『座頭市』シリーズの第1作『座頭市物語』が初めて世に出たのは1962年(昭和37年)。原作はこの前年に発表された「新撰組始末記」で名高い歴史随筆の大家・下母澤寛の随筆集「ふところ手帖」(中公文庫)所収の「座頭市物語」。現在は「時代劇英雄列伝 座頭市」(縄田一男編・解説、中公文庫)でも読めるが、たった9ページ(原稿用紙で20枚未満)しかない短編である。
 原作では坊主頭の中年男で長脇差をさしており、ついでに貧乏漁師の娘を自分の愛人にしているという設定。しかし、映画化にあたり、シリーズ化を狙っていたこともあり、当初ヒロインのおたね(新東宝出身の美女スター、万里昌代)と一緒になるという脚本の結末を改変、流れ者のヤクザ按摩らしく、孤独にさすらうという役柄となった。


●変幻自在、八方無尽! 目にも止まらぬ居合い抜き!


 座頭市のトレードマーク、仕込み杖を考案したのはカツシンで、居合い抜きも猛練習の末、独自の逆手斬りを編み出した。当初は白目を剥く演技をしすぎてぶっ倒れたりしたが、やがて目をつぶったまま、背後や横にいる相手を斬り倒せるようになった。サッカーのフランス代表ジダンもビックリの回転ターンに、柔らかすぎる手首の返し方が絶品で、その抜き手の素早さたるや、コマ送りにしても切っ先が見えないほど。幼い頃から仕込まれた「芸」と抜群の運動神経のたまものであった。さらに、殺陣の際は大まかな「流れ」だけ決めて、後はぶっつけ本番で挑んだりもした。そのため迫力は倍加したが、カツシンはともかく、斬られ役は怪我が絶えず、相当に苦労したらしい。


●『座頭市』シリーズ、オススメ作品一挙紹介!


 シリーズものはふつう作品によって当たり外れがあるものだが、『座頭市』シリーズに関しては、当時世界最高峰の技量を誇った大映の映画スタッフの技術の粋が結集していることもあって、基本的にはどれもハズレなし。
 まずおさえておきたいのは、やはり原点、第1作『座頭市物語。後年、明智小五郎役で人気を博した天知茂扮する肺病病みの剣豪・平手造酒との友情と涙の一騎打ちが泣かせる。作品的にもハードボイルドなタッチが素晴らしく、本作がベストワンと評判高い。
 監督の三隅研次剣劇映画最高の名手とうたわれた名匠で、その後も第8作『血笑旅』、第12作『地獄旅』(競演=成田三樹夫)、第17作『血煙り街道』、第19作『喧嘩太鼓』(競演=三田佳子佐藤允)、第21作『あばれ火祭り』(競演=森雅之仲代達矢と名コンビを組んでいる。特にオススメは第17作『血煙り街道』で、相手役はチャンバラ日本一の剣豪スター、近衛十四郎松方弘樹の実父)。クライマックス、打ち合わせなしのガチンコ勝負で臨んだ大チャンバラ劇は、戦後時代劇史上屈指の名対決、コレを見ずして時代劇は語れない!
 殺陣の迫力ではダントツ、第6作『千両首』が凄い。実兄・若山富三郎(当時は城健三朗名義)が馬上から鞭を奮い、マカロニ・ウエスタンを超える凄惨さで迫る。ちなみに、カツシン自身も「殺陣は兄ちゃんのほうがうまい」と語るとおり、若山の剣劇はカツシンよりもさらに超絶技巧で型も流麗。この兄にして弟あり、日本映画界最高の役者兄弟だったことがよくわかる。
 なお、テレビシリーズは時代劇専門チャンネルで毎年のように放映中。石原裕次郎吉永小百合浅丘ルリ子植木等郷ひろみ森繁久彌等々、毎回大物スターがゲストで登場、映画以上の豪華さで飽きさせない。カツシンの顔の広さ、その人間のスケールのでかさは、実のところこのテレビ版で最大限に発揮されている。
 89年、カツシン最後となった『座頭市』では、テレビを経て装いも新たな座頭市像を展開。撮影中の殺陣師の事故死等でイメージの悪い一作だが、唯一無二のカツシンワールドは堪能できる。当初、かの松田優作も出演予定だったという。


●『座頭市』は世界映画史を変えた!


 ところで、世間ではあまり知られていないが、『座頭市』シリーズは黒澤明と並んで世界的に知られた日本映画である。60年代頃からアジア全土にも輸出され、『盲侠』の題名で公開され、各地で一大ブームを巻き起こし、若き日のブルース・リージャッキー・チェンといった、のちの香港アクションスターにも多大な影響を与えた。要するに、『座頭市』がなければ『燃えよドラゴン』や『酔拳』、さらに言えば香港風クンフーアクション全開の『マトリックス』シリーズさえも存在しなかった……といっていいほどなのだ。
 事実、ハリウッドからも巨匠フランシス・コッポラがわざわざ来日してカツシンを表敬訪問しているし、最近では『パルプ・フィクション』の鬼才クエンティン・タランティーノが熱狂的ファンで、むろんカツシンとも会っている。


●語り尽くせぬ魅力…座頭市は永遠に!


 かくのごとく、座頭市&カツシンは語り尽くせぬ魅力の大宝庫。今後、ビートたけしが『座頭市』をシリーズ化するかどうかはともかく、カツシンの遺志を受け継げるのは、たけしのみなのは確か。というのも、たけしの映画は自作自演の鬼でもあったカツシン演出の影響を多大に受けているからだ。さらに、第2作『3−4X10月』(90年)では、編集を勝新太郎作品の右腕的人物、谷口登司夫氏が担当。たけしに映画における編集の極意を教えたのはカツシンの右腕とうたわれた谷口氏その人である。
 たけしはカツシン最後の『座頭市』公開の同年、その男、凶暴につきで監督デビューしたという因縁もある。たけしとカツシンは実生活でも交流があり、才能を認めあう仲だった。ふたりとも東京下町育ち、さらにたけし自身もカツシンほどではないが、当世のタレント俳優とは比較にならぬ「芸」の持ち主。“最後の浅草芸人”としての力量は、カツシンの遺産『座頭市』を通じて存分に発揮されたはずだ。『座頭市』よ、永遠に!
[増刊週刊実話:03/09/18号]