ブルース・コバーン(「レコード・コレクターズ」1991年12月号掲載インタビューより)

hibiky2006-10-09

マーク・ラパポート:「ヴィレッジ・ヴォイス」誌のロバート・クリスガトウが「他のシンガーにソウルがあるように、コバーンには怒りがある。その怒りは新作が出るたびに、ますます激しく、厳しくなる」と書いていた。

ブルース・コバーン:そうかもしれない。でもソウルの代わりに怒りとはまずいな(笑)怒りがすべてと思ってる評論家は結構いるよ。言っとくけど、俺は別に怒りが嫌いじゃない(笑)怒りを感じたら、出せばいい。B・B・キングの音楽にだって怒りがある。たとえばドン・ヘンリーの持つ、冷たいシニシズムだってある種の怒りだ。しかし、俺が知っている限り、彼はニカラグアへ行ったこともなければ、難民の苦しみを自分の目で確かめたこともなない。だからああいう発想なんだと思う。
べつに中南米で身を危険にさらしたと言ってるんじゃない。ちゃんと面倒を見てもらっていた。たまに不安を感じることもあったけどね。とにかく、自分の目で確かめるのが重要なんだ」
(略)

、、、なぜか読んでしまうのがもったいなくて、ずっと未入手で読まずにいた「レココレ」2号連続掲載、伝説(?)のマーク・ラパポートさん入魂のコバーン全作品レビュー&インタビュー。*1

……ようやく念願を果たし、なぜにコバーンの音楽がこれほどに自分自身を惹きつけてやまないのか、納得した。
コバーンの偉大なる業績に比すべくもないまでも、「怒り」という人間の根源的感情で、知らずしらず、つながっていたのである。少なくとも、影くらいは踏んでいたのだ。

オレは怒らないヤツが信用できない。怒りだけが真に事態を打開して変革し得る、時と場合もあるからだ。
怒るべき時にも怒らず、感情を殺す輩は、そこにいないも同じ、いわば死人のようなものだ。死人を信用しても仕方ないではないか? 

多くの場合、人は怒りを見せても、単に怒るというだけで、ただ感情を表出するだけに終わる。ゆえに、怒りは非生産的な行為と見られがちだ。
だが、怒りを押し殺すことで、時に人はおのれの「真情」をも抹殺し、場合によっては世界をも殺している可能性があるのだ。
真に人を救うのは、世間や社会が要求する「理性」とやらではなく、感情を超えた、「真情」だ。
シニシズムは世界を救わない。真情から発する怒りには、世界を変革し得る力がある。ブルース・コバーンの歌が、聴き手の心を突き動かすように。。。
ブルース・コバーン公式サイト(全曲歌詞掲載!)→http://www.brucecockburn.com/

Live

Live

Amazon
Big Circumstance (Dlx)

Big Circumstance (Dlx)

Amazon


*1:マークさんの「ミュージック・マガジン」誌上での<じゃずじゃ>連載開始は、このコバーン原稿掲載の翌年、1992年から。なんと今年ではや15年目! 執筆陣のなかでは萩原健太に次ぐ長さを誇っている。ぜひとも著作にまとめてもらいたいものであります。紹介アーティスト&紹介アルバムなどは索引類はウチのブログで一部掲載したのをぜひ使って頂いたりして(笑))