ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー

質問:政治のようなものにも興味がないとおっしゃるのですか。
ファスビンダー政治というものは、人間に対して行使される残虐きわまりない権力のメカニズムを除けば、おそろしく馬鹿げた、幼稚なことだと思います。政治家になりたがる連中の了見がさっぱりわからない。
質問:しかし、社会は一定の規則を持たなければならないことをお認めにはなりますか。それとも……。
ファスビンダー秩序の維持をはかるための政治にもかかわらず現実には最悪の大量虐殺がなされてきました。手短かに言って、仮にいまアナーキー社会が成立していたとすれば、第二次世界大戦とか三十年戦争があれほど極端に残酷になっていたかどうか。どう思いますか。ぼくはアナーキーの世界では世界戦争が起る可能性はないだろうと考えています。みんな各自めいめいの領域のことしか念頭にないのだから。ところがぼくらが生きているマスメディアの社会は、どこか狂っているような感じがします。テレビというメディアはものすごく大きな可能性を持っているのに、結局プラス面からは利用されず、むしろファンタジーを抹殺する抑圧の手段として行使されています。
from「ニュー・ジャーマン・シネマの旗手 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー」(ヴォルフガング・リマー著、丸山匠訳、発行=欧日協会/発売=新紀元社

……天才の言葉はげにも端的に世界の真実を切り裂く。正直、おそろしい。
映画の話をあまり書きたくなくなっているので、手短に済ますが、ファスビンダーの諸作の多くが、実は本来TV映画として製作され、TV放映されたのちに映画館で公開されていたという事実は、何度考えてもすごいものがある。「人間に対して行使される残虐きわまりない」「アナーキー」な「ファンタジー」が数十本にも渡り、公共の電波に乗っかって、お茶の間に届けられていたのである。どれくらい視聴者の認知度を得ていたのかは知らないが、あそこまで救いのない映像劇が来る日も来る日も放映されていたと考えるだけでクラクラする。おそるべし、ドイツ。さすがはジャーマンロックを生んだ地なり。
中原昌也氏はじめ、ファスビンダーを絶賛するアーティストは幾人もいるが、いまだに代表作の多くがアテネフランセはじめ一部のオフシアターでしか見られないのはまったくもって残念。昨年だかシネフィルイマジカで『ベルリンアレクサンダー広場』は放映されたらしいが、あれは本来、NHK衛星放送あたりが大々的にやるべき世界的TVドラマ大作だ! 先に書いたように本来TV映画として製作されてもいるんだから、全作品放映するか、DVD化などソフト化を実現すべし。
よくも悪くも個人の「世界認識」((C)大和屋竺)を変革する偉大な「力」が、ファスビンダーの映画にはある。まだ見ぬ方は幸か不幸かいざ知らず、見たが最後、いっとき不幸のどん底に叩き落とされて、地獄の底から極楽を夢見りゃれ! まちがいなく、人生観が変わるから<変わりたくないって