アラン・R・スプレットの玄妙なるサウンド・デザイン

アラン・R・スプレット。
デイヴィッド・リンチ監督の初期作品で、最も重要なポジションである音響面を支えた夭折の天才。
知られざるその横顔に迫る……。

●聴覚を刺激する『イレイザーヘッド

 リンチとスプレット、ふたりの出会いはリンチの監督第3作『グランドマザー』撮影時。当初音響を依頼するはずだったボブ・コラムは、事情があって自分の代役としてアシスタントのスプレットを紹介した。出会いから意気投合したふたりは、以後唯一無比のサウンドを求めて邁進する。使っていたラボにあった既製の効果音の出来が悪かったこともあって、スタジオにこもって独自の音をつくること、なんと63日間(!)。「彼とは感覚的にわかりあえた」とリンチ。ふたりは『イレイザーヘッド』の製作前にそろってAFIの招聘を受け、スプレットは一足先にL.A.に移住。『イレイザーヘッド』撮影時は一時、撮影のハーブ・カードウェルもそろって3人で共同生活していたそうだ。なるほど、そうしたおよそ色気のない男所帯から立ち上がってくるわびしい生活感も、微妙に映画に影響を与えたかもしれない…もしかしたら。
 
 スプレットによるサウンドデザインはなんと表現したらいいか、どうもぴったりくるものは見つからないが、ふと浮かんだのは“玄妙”という言葉だ。そんな古めかしい言葉が意外やぴったりくる、どこかなつかしさも覚えるような奇妙なノイズ。ほとんど手作業に近い、相当なローテクでつくられたゆえんなのかどうか。当時、これを目に、いや、耳にした観客はいったい何を思ったのだろうか。いまを生きる私のような後進の観客からすると、「ついに“聴く映画”が現れた!」などと騒いだ人間がいてもおかしくなかったと思うのだが、パンフレットで当時の映画評をチェックしてみたが、“インダストリアル・ノイズ”というフレーズが目に入ってくるばかりだ。

●リンチの“映画音楽家”だったスプレット

 『イレイザーヘッド』の次作『エレファント・マン』では、メル・ブルックス作品の常連であるジョン・モリスがスコアを担当した。彼のスコアも悪くないが、冒頭の巨象がうごめき女に襲いかかる幻想シーンや、ヴィクトリア期の英国らしくまさしくスチーム・パンクな裏町のざわめきといった強烈なサウンドが、控えめにすぎたかもしれないメロディの記憶を吹き飛ばしている。エレファント・マンの苦しげな息にせよ、ジョン・ハートの熱演のたまものというよりは、リンチとスプレットが望んだ呼吸音をしてみせているだけに思えてならない。異形の者たちが奏でるノイズの饗宴……。
 スコア以上に自己主張の強いスプレットのノイズなしにリンチの映画は成立しえなかった。その凄みは『砂の惑星』の映画を見てからサウンドトラック盤を一聴すればわかる。『砂の惑星』はTOTOのいかにも80年代当時を思わせる、ペコポコチャカチャカシュワー(擬音のつもり)といった薄手の音は、映画で聴こえていた嵐のようなうなりをあげるノイズに比すべくもない単調さだ。まさしくスプレットこそが、リンチにとっての“映画音楽家”だったのである。
 ちなみに、砂漠のシーンで鳴り渡る「予言」のテーマのみ、ブライアン・イーノ実弟ロジャー・イーノ、盟友のダニエル・ラノワと組んで作曲したもの。イーノ=ミニマル・ミュージックという世間のイメージを外さないものではあるが、この曲だけは悪くない。もともとイーノは初期ロキシーミュージック、そしてソロ作「Here Come the Walm Jets」など、当初はエキセントリックなサウンドで注目された人物だ。「ノー・ニューヨーク」、トーキング・ヘッズU2などなど、最先端の音を追求したプロデュース活動でもあまりにも名高い。リンチ&スプレットとタッグを組めば映画史に残るようなすさまじいサウンドトラックができたのではないだろうか。夢想するだに惜しまれてならない。
 次作の『ブルーベルベット』はふたりのコンビ最終作となった。冒頭の有名な草むらの中のアリの群れの超ズームショット、または燃え上がる炎のイメージの挿入カットなど、舞台が現在に移ってもさらにその音づくりは冴えを増していた。本作以降、リンチと全作品で組み、新たに彼の片腕となったアンジェロ・バダラメンティを加えた最強トリオの作品が、結局これ1作で終わったことは残念だ。前作でのイーノとのニアミスといい、惜しい。

●赤い部屋の声音は、亡きスプレットの置き土産

 この頃にはスプレットはリンチ以外の映画作家とも組んで評価をさらに高めていた。83年『ネバー・クライ・ウルフ』(キャロル・バラード監督)、84年『砂の惑星』で2年連続アカデミー音響賞にノミネート。が、惜しくも受賞は逃した。フィルモグラフィをみると、ピーター・ウィアー監督『モスキート・コースト』(86)『いまを生きる』(89)、フィリップ・カウフマン監督『存在の耐えられない軽さ』(88)『ヘンリー&ジューン』(90)『ライジング・サン』(93、遺作)と、繊細な感性で知られる監督と組んで、リンチとは違うアプローチでサウンドを構築していたことがうかがえる。
 95年12月2日、スプレットは闘病生活の果てにガンで死去した。ちなみに、『ツイン・ピークス』で最も印象的な場面のひとつである、“赤い部屋”での小人たちの奇妙な声は、『イレイザーヘッド』撮影前、例の鉛筆工場のシーンで使うつもりで、リンチがスプレットに依頼し、彼が逆再生を繰り返してつくりあげたものだという。リンチは赤い部屋の撮影中、それを思い出し、このシーンに使ったのだ。きしり、ひきつるような奇怪な声音は『イレイザーヘッド』をどことなく彷彿とさせる響きで、はからずも天国へ先立ったスプレットの、リンチへの最後の置き土産となったのだった。
 いや、置き土産といえば……妻のアン・クローバーも夫と組んでサウンドエディターとして仕事をしており、リンチの『ブルーベルベット』はじめ先に挙げた作品で名を連ねている。彼の死後、『グース』(96、キャロル・バラード監督)をへて、『ロスト・ハイウェイ』では追加音響効果として参加。クレジットはアン・クローバー=スプレット。同作はスプレットの思い出に捧げる作品でもあったのだ。
 「握手したとき、たしかに骨が鳴った」とリンチは語る。病的なまでに痩身で(法的には)盲目だったというアラン・R・スプレット。その姿は写真でも見たことはないが、深夜、『イレイザーヘッド』のサウンドトラック盤に耳を傾けていると、リンチとふたり、あやしげに動き回りながら得体の知れない音をつくりあげていた姿が目に浮かぶような気がする。彼に『ロスト・ハイウェイ』の漆黒の画面は見えなかったにしても、いまは天国できっと、リンチがかつての妻とつくりあげた音に耳を傾けているにちがいない。"In Heaven, Everything Is Fine..."とでもつぶやきながら。


<メモ>
覚え書きとして執筆。当然のごとく(?)どこにも未掲載だったが、個人的には気に入っている雑文。どことなく、尊敬する滝本誠先生の文体をトレースしたような感触もあるが、それも含めてイイかなと。もっとも、構成的にツメが甘いというか、未完成な印象は否めないのであくまでメモでしかありません。
リンチとアラン・R・スプレットについては、今後も折に触れてDVD等で作品を見返すつもりなので、本稿もいずれ書き直す機会もあるだろう……。