雨のなかの猫たち。。。

昨夜、帰宅の途中、夜になって降り出した雨でびしょぬれになってる猫を3匹ほど見かけた。どいつもたぶん子猫の頃から知ってるヤツ。
一匹は妊娠してるのかお腹がたっぷりふくらんでた。近いうちに子猫が見られるかな?
……もっとも、その前にコンビニで「週刊文春」を立ち読み、例の子猫殺し作家・坂東眞砂子 の文章に、東野圭吾が寄せた特別寄稿を目にしたので、複雑な思いにかられ。
東野氏はかなり回りくどい書き方で、結局、板東をフォロー。コレって版元からの要請だったとしか思えず、、、あるいは、同業者だから援護射撃するというのが作家ならではの流儀というか、当然のリアクションなのか? まぁ、猫の飼い主になったコトがないオレにはわからない心理もあるのかもしれねいが、愉快ではない。
東野圭吾も結局のところ、今回の寄稿では単に「守り」に入ったとみていい。
今回の騒動、「子猫殺し」という現行法上では確実な犯罪行為を、公器たる大新聞上にきわめて安易な形でのうのうと発表し、無用な物議をかもした個人としての社会的・道義的責任が問われているのである。ゆえに、それに対する謝罪を第一に読者に対してすべきであり、周囲もさせるべきだった。
あえて罵言を吐くが、いつから作家ごときが偉くなったのやら? 許されぬ愚行を私的な考えで下手に言い訳し、心ある人々の怒りを買い、良識人を呆れさせただけで、表現の自由などという大命題を持ち出す以前のレベル。特別寄稿だの反論だの、実におこがましい。世間を愚弄した作家の慢心こそ、糾弾されてしかるべきだ。
繰り返すが、作家だからといって、文化人だからといって、無用な騒ぎを起こしていいわけでは全くない。たとえ目的があったにせよ、騒ぎを起こせば、その責任だけはとらねばならぬ。社会人なら当たり前のマナーだ。作家だからといって、文章を発表するだけで許されるハズがない。直木賞受賞者という名誉ある公人ならなおさらだ。
今回の件、当事者・板東はもちろん、出版社・日経新聞および関係者も、本人の寄稿などといった人をナメた解答だけで済まさず、責任もって、しかるべき筋を通して解決を図るべき。
事件を知った全国の愛猫家へ、誠意をもってまずは謝罪すべし。そのうえで持論を展開すべきだった。今となっては遅すぎるし、動物愛護運動家なりがよほど強烈な抗議行動でも起こさないかぎり、おそらくは誰も何の責任もとらぬまま終わるだろうが。。。