…映画祭なんて浮かれたマネしやがって! ブーブー!」
1968年、動乱のフランス。カンヌ映画祭に同志フランソワ・トリュフォーらと乗り込んだゴダールが壇上でカマしたアジ演説から。さすがは映画革命家、やること言うこといちいち絵にならぁ。まさに時代の寵児って感じ。
もっとも、その30余年後、ゴダールはアラン・ドロン主演で『ヌーヴェルヴァーグ』を撮り映画祭に出品。その記者会見での映像が同番組のPART-2で流れた。
「アランとは共に仏映画界を担ってきたわけだが、ようやく一緒に仕事ができて嬉しいかぎりだ…うむ」
なんて、ごにょごにょオトナトーク。この変節漢め!…と怒るなかれ。映画人なんて、こんなモンだわさ。ナニがあろうと撮り続けることもきわめて大事、それを毎年着実に実行できているのはゴダールくらいなんですから。
ゴダールって映画はともかく、発言や著作はやたら面白い、つうか「使える」フレーズをふんだんにカマす人。学生時代、「ゴダールの映画史講議」にはけっこう影響を受けたモンだ。今は映像と音楽のマッチングが相変わらず見てて気持ちいいくらいで、基本的にはどうでもいい人になってしまったが、それもまたよかろう。メタ・シネマだしな。
毎年、なんのかんの言ってアカデミー授賞式はチェックしているように、映画祭はじめ授賞式に関するレポートやドキュメンタリー番組は、目にとまるとついつい見入ってしまう。ミーハー根性や覗き見趣味が満たされるせいもあろうが、最近は脳内メモリーバンクの確認にも役立ててたり。映像中に出てくる映画人、字幕がほとんどついてなかったので、「この人誰だっけ?」といちいち頭の中でデータ照合していたんだが、8割くらいしか判明せず。残念!
ところで、ふっと思ったんだけど、こういう番組見せて、「これ、誰? ナニ撮った人or出てる人?」なんて質問されて、キッチリ答えられる人だけが、おそらくは本物のプロの映画ジャーナリストだろうね。ってか、そうじゃないとイカンよね。もちろん、この基準はいささか厳しい。つうのは、オレが知るかぎり、ギョーカイで仕事してる9割は落第だろうから。日本に限らず、洋の東西、現状はそんなモンだろうし、個人的には諦めてるんだが、例えば別のジャンル、野球やサッカー評論家といった方々のほうが、同様の番組を見せた際、正解率は高そうというのはなんだか悔しい気も。つうのは、コレはかのビートたけしの名言の受け売りだが、
「野球の解説や評論は、元野球選手とか野球関係者がやってる。なんだかよくわかんない人が解説だの評論したりするのは、映画業界くらいだよな」
ちなみに、淀川長治や水野ハルヲといった先達は、前職は優秀な映画宣伝マンであった。モチは餅屋が語るべき、ってこってすかな、やっぱ。
話が脱線しまくったが、本日深夜はカンヌ映画祭閉会式。タラ公がウラでツイ・ハークやキャスリン・ターナーら他の審査員をてめえの趣味にどこまで巻き込めるかが見ものだ。ナニが受賞しようと、作品そのものには、もぅ、あんまし興味ないんだけどさ(爆)。