奈良・山の辺の道:桜井市・三輪山〜天理市・石上神宮

有給休暇使って奈良・山の辺の道へ日帰りで行ってきたのだが、いやぁ、チョ−久々で、本格的に、歩きに、歩いた! 
朝8時すぎに外出。白子から特急で大和八木に出て、桜井へ戻る。JR桜井線に乗り換えてひと駅で三輪へ。大神神社に詣でる。中2の春の遠足だかで来た記憶があるので、たぶん20年ぶりの再訪か。
三輪山には10時半頃から登拝。カメラ・ビデオはもちろん、飲食物の持ち込みも厳禁と聞いていたが、確かめたら、荷物も飲物も持ち込めたので拍子抜け。ゴミ類のみ徹底して持ち帰って欲しい、というコトらしい。
神の山、というコトで森閑たる雰囲気を想像していたのだが、実のトコ、フツーの自然歩道。ただ、なだらかな山のわりにはやや急坂なルート。道は基本的に階段状に整備されているが、一気に登ってたらさすがに息切れ。
三合目付近にしめ縄で囲われた一角がある。巨石というほどのものではなく、岩石群といった具合だが、昔時にはここに神が「降りた」のであろうか。神々しい雰囲気はさして感じなかったが。
しばらく行くと水ごり場があり、10数人の先客らしい方々の荷物が並べてあった。人の気配が付近にしなかったので少々不気味だったが、そのまま行くと、グループ登山されている一団に会う。子供も数名混じった、ごく普通の方々だったが、宗教関係の可能性あり。こちらの足どりの速さを見て、追い越させてくれたのだが、これでかえってへばり、一時吐き気までして大変な目に遭った。ペットボトルのお茶を持ち込んでおいて正解だった。随時、水分補給しなかったら、行き倒れ状態になるトコだった。
まもなく頂上に着く。「着いた〜!」と思わず一声叫んだら、そこに女の子がひとり。たぶん16、7歳、せいぜい20歳前後か。
「ひとりで登ってるんですかぁ? まだ先にもありますよ〜」
どうもすみません、と挨拶して先へ行く。
「そのまま帰っちゃうとこでしたね〜」と女の子。
案内にも巨石、巨石と出ているが、少々誇大表現。山頂の磐座も岩石群といったところ。疲れきっていたのでついひっくりかえって寝転んだが、ぶ〜んという蜂の羽音のような物音が気になったので退散。
ひぃひぃはぁはぁ息切らせまくった上りと違い、下りはひたすら駆けおりて早いはやい。途中で先に頂上で会った女の子を抜かす。
「早いですね〜あたし、思い切って裸足になっちゃたから脚が痛くてぇ」
……ンなこと聞いてないっての(笑)
からかい半分で相手していてもよかったのだが、正直疲れていたし、宗教勧誘関係とか、ヤバいコだとまずいかも、とも思い、「お先に」とさっさと行き過ぎた。
神社脇の福神屋なる店で三輪そうめんを食してから、山の辺の道に戻る。先に書いたように、以前、遠足で一度通っているハズだが、全く記憶は甦らず。ひたすらずんずん、歩く。
相撲神社なる相撲発祥の地とやらをチェックしてから、景行天皇陵へ。あたりは見渡すかぎりの田園地帯。日射しがきつく、正直、だるかった。
砂まじりの道をたどっていると、なにやら『子連れ狼』気分。

正面から柳生一門が虚無僧姿で走り寄り来たり、いきなり切りかかる。拝一刀あっさり躱し、胴太貫一閃、柳生、それを額に食い込ませながらも真剣白羽取り、「大膳ッ!」と一叫、背後に隠れておりし別の者が跳躍して一刀を襲う! 一刀あわてず、「大五郎!」と箱車に仕込みし長柄を手にするや相手を串刺し。
「柳生一門は天下六十余州にまたがる。いずれへゆこうとも、われらの手をのがれることは、できぬッ!」ぶしゅー、血糊吹き出し

…『子連れ狼 三途の川の乳母車』の冒頭シーンを思い起こしながら、炎天下、だらだら道中を続ける。
ヤマトタケルノミコトの父だと伝わる景行天皇は記憶にあったより大きかった。前回は正面から拝んだだけだったからか? 真正面にパチンコができて興醒めはなはだし。
地図上では隣あっている崇神天皇までたどりつくのに、多少時間を食う。神話上の大王(おおきみ)たちの陵墓は妙にでかいのが多い。崇神なんて名前からして祟り神。タタリガミ、なんて、モロ、『もののけ姫』に出てきそうだぜ。先の景行天皇陵よりひと回りでっかく、周囲もしっかり整備されている。史跡的にも宮内庁的にも重要度が高いのか?
このあたりから山の辺の道は人家のなかを通り抜けていく具合に。自販機が多いのは助かるが、正直、平日にいいトシこいた大人がぶらつくにはちょっと気まずい雰囲気も。ちょうど昼下がり、アルファルト鋪装された農道をひたすら歩き続けたが、実にだるかった。暑いのに、汗のかきすぎか、寒気がしてきたり。
最終目的地の石上神宮には15時すぎに到着。3時間余で約10キロくらいは歩いたことになるハズ。後醍醐天皇の伝説まつわる池で、馬魚ことワタカの写真など撮ったりして一息入れた。ワタカは昔、母親の郷里の用水路で何匹か釣ったことがある。琵琶湖水系の魚なので、鮎の放流に混じって居着いていたらしい。
神宮自体は拍子抜けするほどに規模が小さい。御神体神武天皇期の神剣で、それが埋められた森そのものが神域となっているらしい。ここを本格的に発掘調査すれば、天皇家のルーツはより明確になるなどと歴史マニアに噂れる所以である。最新の研究をチェックしているワケではないので、確たることは知らぬが。
友人からは「社会的に影響あるブログを教えて!」なる質問メール、母からは「何時に帰るん?」と電話があったりとゆっくりしてられなくなったので、帰路を急ぐ。
日本最古の街道と呼ばれる古道を歩いた感動もひとしおだったが、真の衝撃は道中最後に待っていた。
石上神宮の前にそびえたつ、天理教総本部の広大無辺さにただ唖然、度胆を抜かれたのだ。
とにかく、でけぇ! 広れぇ! *1いや、20年ほど前にも一度見ているのだが、当時よりさらに敷地も建物も増えたのではないか? TVや映画でおなじみのチベットポタラ宮殿、いやいや、史上名高い秦の始皇帝の巨大宮殿・阿房宮が突如、現代日本に再現されたかと見まごうばかり。少なくとも、敷地だけなら紫禁城並みなンじゃないかって(<テキトーなたとえ)
……宗教とは、「威圧」と見つけたり。
コンビニ脇にバス停を見つけたが、天理市内巡回とあるだけでルート説明に駅がない。道ゆく人にたずねようと見回す。ハッピ着た若いお兄さんがやってきた。拍子木打ちつつ、「おやさとさまは〜」なんて歌うたってた。にこやかな好青年だったが、とても、質問できるような雰囲気じゃなかった(笑)
すぐに50前後のおっさんが来たので、「駅行きのバスはこれでいいんでしょうか?」と質問。おっさん、「う?」と喉元でうなるだけ、なにやら周囲をうかがうだけでマトモに会話してくれない。こちらを部外者と見て警戒しているらしい。
ラチがあかないので、目に入った交番で聞くと相手を解放。おっさん、露骨にほッとしていた。ところが、交番は終日無人らしく、「用があったら本庁へ電話ください」と電話器があるだけ。
駅ゆきのバスも、時刻表を見たら、本数が極端に少ない。いわゆる「おやさと」へは、来るだけで戻ることは許されない、というワケなのか???
……日本唯一の宗教都市、その最奥部へうっかり入り込んでしまったことへの戦慄がオレを襲った。
恐怖することはない、正面玄関へでも行けばタクシーが待ってるはず、と駅らしい方角へと歩くが、当然のように、道ゆく人はことごとく、教団関係者なのに気づいてさらに戦々兢々。ヘルメットかぶった工事現場のお兄さん方と思ったら、皆教団Tシャツ着てるし。建物という建物は皆、「詰め所」だの「集会所」だのだし。
大体、あの宮殿みたいな建物だ。どの棟も、ことごとく、つながってるのだ!(驚)あんなトコへ連れ込まれ、もとい、入り込んだら一生出てこれないんじゃないか? それぐらい、広い。でかい。
市庁舎が見えたあたりから、さすがにごくフツーの装いの市民ばかりになってやや安心。それでも、見回せばどこもかしこも詰め所だの集会所なのは変わらず。全世界に信者がいて、彼らが集う地とはいえ、なんということだ。
信者の皆さんの奉仕活動のおかげで、路上にはゴミひとつない、なんて噂を聞いていたが、そういうわけではなかった。それでも、廃水が流れ込んでいるにもかかわらず、溝川は澄んでいて川魚が泳ぎ、ゴミや雑草は極端までに少ない。さすがである。
駅近くまで来ても、それらしい表示がないのには参った。駅構内に来たときは正直、救われた気分であった。それぐらい、異様さに囚われていた、というコト。ホームではスカートまくりあげたコギャルが地べたに直座りしてたり、にぃチャンどもはガラ悪げだったりと地方都市にありがちな光景散在。駅前には暴走バイクがぶんぶん走り回ってたりしたし。
今度来るときは信者候補として潜入、もとい、見学させてもらうとしよう。
19時前に白子で降り、待ち合わせた父とスーパー銭湯へ行き、21時前に帰宅。今回のバカ歩きはなかなか、充実していたかも。






  

*1:そういや、見たことないけど、クレムリンも巨大なんでしたっけ? てめえがチビ系なせいもあるけど、でっかいモノには、とかく弱いです。でかいの、怖いです。あ、でも巨乳はオッケーだわ(爆)でもいわゆるプランバーは不可なれど、フェリーニ巨匠に都合のイイとこだけ影響を受けた、と云っておこう。