ロバート・ワイアット「THE END OF AN EAR」

昨年の輸入盤規制にはトーゼンのごとく断固反対したが、実はオレ自身は基本的に国内盤愛好者。洋楽は解説に歌詞対訳があってこそ、という思いがあるから。データ魔なので、文字情報と照合させて音を聴いたりするのが好きなんだよね。学生時代なんて、日本最高(店長いわくアジア最高)のレンタル屋、お茶の水のジャニスに通ってたワケだが、あそこで借りたアルバムのライナーはことごとくコピーしたもんなぁ。つうか、音聴くよりもライナーをコピーすることに夢中になってた節もあるくらい。
どんなアルバム聴こうが、演奏しているミュージシャンの名前はもちろん、経歴もできたら知りたい、と常に思っていて、必ずクレジットはチェックしまくる。そのためにもライナーは貴重な情報源なワケだ。
逆に、ナンの情報も感銘も与えてくれない感想文めいたライナーほど嫌いなモノはない。ばーろー、感想は買ったオレが勝手にするってぇの、ンなことよりオレが知らないネタを教えろ畜生! もし感想なり雑感を述べたいなら、例えば湯浅学センセイあたりまで目指して、「芸」を見せろ、と。
……前置きが長くなったが、ロバート・ワイアット「THE END OF AN EAR」のライナーは宮子和眞氏。悪いけど、ガッカリ。この人の文章、ありがたみに欠け、味わい少ない薄手の極み。一言で云って、つまんねぇ。もったいをつける手合いも嫌いだが、読み手に感銘を与えない書き手というのも困りものだ。音楽ライターだの評論家だのは皆同じだッ! って言い切る勇気ある諸兄もおいでだろうが、オレ自身はやっぱ「餅は餅屋」、プロの聴き手からはプロらしいモノを与えてもらいたい、と思ったりするワケですよ。
ま、最近のオレは昔ほどは熱心にライナーも読まなくなってるから、さして重要な問題ではないンだけどね、今でも中古で国内盤漁ってるからさ、いまだ懸案ではあるので書いてみました。