『ハピネス』『ストーリーテリング』+『クイルズ』

書き逃していたので、いちおうごくごくつまらぬ覚え書きだけ。
編成上の偶然かもしれないが、一昨日のWOWOWの深夜編成にはちと「妙味」を覚えた。トッド・ソロンズフィリップ・カウフマンという、新旧のアメリ映画作家の作品が連チャンで登場したのも面白いが、何より3作とも、「“物語”を語ること」について考察した内容だったから。
トッド・ソロンズの2作は、正直、諸手を上げて絶賛できる内容ではない。身体障害者少年愛好者、人生落伍者、潜在的差別意識等々、登場人物にとにかく「負」の部分をさらけださせながら冷ややかに見据えるといったタッチには、とにかく強烈な印象こそ受けるものの、ただの露悪趣味と評されても仕方ない面もある。実のところ、この男、映画的才能よりもネタ勝負の仁らしい。米国文学や演劇に通じていれば、細部でもう少し楽しめる部分もあるのかもしれないが……それでも、見ていて気持ちがざわつくような刺激を受けるのは間違いなく、そういう意味では充分、面白いし、見るに値する作品だと思う。おそらく出来では『ハピネス』のほうが上だろうけど。『ストーリーテリング』は題名からしてもやや苦しまぎれかなと。
おひさしぶりねのフィリップ・カウフマンの『クイルズ』。公開当時見逃していたのがようやく見られた。クイルズとは羽ペンの意味。マルキ・ド・サドが主人公だけに『ソドム百五十日』を地で行く、目を覆わんばかりの酒池肉林阿鼻叫喚のエログロ倒錯の嵐! なシーンが展開するのかと思いきや、しごく真面目きわまりない、原題どおり、ペンの力、言論と表現の自由を訴えた正統派な文芸作であった。マルキ・ド・サドの性的倒錯者の面をあまり強調せず、ナポレオン帝政下に民衆が渇望した「物語」の語り部として描いているわけ。時代背景と主人公が違うだけで、実のとこ、ミロシュ・フォアマンの『ラリー・フリント』と共通するテーマ。その意味で、フォアマンが撮っていてもおかしくない一作。
もっとも、脚本の問題なのかどうか、内容的には全体にやや図式的すぎて、驚きと刺激には欠けたかなと。嬉々としてサドを怪演つうより快演したジェフリー・ラッシュはともかく、マイケル・ケインの悪役ぶりも気を持たせたわりにはさほどでもなく。サドに魅入られる神父ホアキン・フェニックスがやはり物足りなかったかも。亡兄リバーと違ってなにやら足らないとこに可愛げある役者とはいえ、もちっと何とかできんだか? なにより洗濯女ケイト・ウィンスレットが脱ぎ惜しみしてるってのがいかん。いや、ありゃ乳でかいだけですでに垂れ気味、形悪いし、別に見たくねぇや。要は洗濯女役にもっと本気で色っぽい女優をあてがうべきだったってことかな(笑)
……真面目に戻せば、フィリップ・カウフマンもそろそろ才能は本格的に枯渇したと見ていいかもとか。世代交代は確実に進んでいるらしい。本来比較の対象ではなかろうが、作品的にどっちに見る価値があるかと余人に問われたら、オレはカウフマンの昨今の作品なぞより、断然トッド・ソロンズを推す。好き嫌いは関係なし、見ておいて損はないだろうという意味で。