中村とうよう…最期の「トーク」

hibiky2011-07-21

中村とうよう自ら逝く…とな。享年79。


追記。題名は二度ほど変えました。例によって検索等でたどりついてしまった方、駄文におつきあわせしてしまい、申し訳ございません。以下は気が向かれた方のみどうぞ…(恥)





正直に告白すれば、オレは遅れすぎた「ミュージック・マガジン」読者。「レコード・コレクターズ」は高校時代から読んでたけど、当時はやはり音楽雑誌といえば「ロッキンオン」で、御多分にもれずオレも渋谷陽一派だったりした。
しかし、上京し大学を卒業後、社会人になり、新宿や渋谷のタワレコで試聴して新作を買いまくり、「マガジン」含めていくつかの音楽雑誌を平行して買うようになると、マガジンの「本領」を遅まきすぎで残念ながら(?)知らされることになる。
マガジンという一音楽雑誌の功罪は、中村とうようという毀誉褒貶が多すぎる人物と一緒くたに論じられ、冷然と評価されてしかるべきとは思うが、逆に言えば、それだけ語るに足る要素がある媒体だったということだ。
オレ自身、中村とうようその人が好ましい人物だったとはとてもじゃないが言えない。
しばしばあまりに幼児的としか思えない乱暴で稚拙な言辞を弄び、それでいてムダにトシは喰ってないらしく姦智に長けたかのような、露悪的で無闇矢鱈と挑発的な言動には本気でムカムカさせられ、苛立たされ、(何様かもだが)哀れんで遠巻きに見てしまうような、要するに絶対的に距離をおきたい存在だった。
それでも。中村とうようの紹介者としての功績は、おそらくオレが考える以上に偉大だ、と言わざるを得ない。
いま我が家には80年代以降のマガジンのバックナンバーの大多数*1があるが、それらを後追いで拾い読むかぎりでも、いわゆる「ワールドミュージック」を日本に根付かせたのは中村とうようの尽力なしには語れないように思われる。その意味では、今回の訃報は「ワールドミュージック」のひとつの終焉…!?
「ニューミュージックマガジン」名義当時のロック論争はじめ、ロックが最も語られるに足る場を提供してきた事実も大きすぎるだろうが、詳細な音楽論や分析は他所の識者にお任せするとして。
いずれにせよ、一度、生で姿を拝んでみたかった人物ではあった(もしかしたら何度か接近遭遇程度はしてるかもだが)。
…冥福なんて祈る必要はない。死者だからといって容赦は要らない。棺桶にも墓碑にも鞭打ってもいい。そんじょそこらの罵声怒声なんざ屁のカッパ、むしろ喧嘩相手が出来たと奮い立って勇み立つような、そんなロックジジイだったんじゃないか。
生身は世を去ったらしいのでキマリは悪いかもだが、妙に悲しんでみせたり、忘れ去るよりはマシだ。ダメだったトコはダメと今夜からいきなりコキおろしてもいいから、とにかく語り継いでやらないと。
一目くらいならすでにおいてるんだ。今さら感謝なんてしないぜ。まだまだ、生きてイヤガラセしてほしかったんだしなぁ、こちとらは。せめて目についたときは悪口を言えるくらいの役目は果たせるハズだったんだよ、畜生。
とうよう爺様の人生とひとつのブームは終わったかもだし、おそらく「ミュージック・マガジン」もいずれ終わるだろう。
でも、まだまだ、中村とうようって爺様の幕は降りないんじゃないか…希望的観測ではなく、ある意味、不気味なまでの空気感を永遠に漂わせてしまったような、そんな気までする。
「とうようズ・トーク」は最期じゃなく、疑いなく、これからも続く。


はまぞうで検索してみた著作(適当にピックアップ)。首都圏はともかく、地方都市なら古本屋や中古CD屋で安く買えるといいが。図書館でわりと見かけたような著作もあるが…はたして??

大衆音楽の真実

大衆音楽の真実

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

ポピュラー音楽の世紀 (岩波新書)

中村とうようの収集百珍 (ミュージック・マガジンの本)

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アメリカン・ミュージック再発見 (北沢ミュージックライブラリー)

アメリカン・ミュージック再発見 (北沢ミュージックライブラリー)

俗楽礼賛

俗楽礼賛

大衆音楽としてのジャズ

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ロックが熱かったころ (とうようズコレクション)

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地球が回る音

地球が回る音


非西欧世界のポピュラー音楽

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地球のでこぼこ―とうようズ・バラード (1978年)

地球のでこぼこ―とうようズ・バラード (1978年)

ナイルの流れのように (ちくまプリマーブックス)

ナイルの流れのように (ちくまプリマーブックス)


ポピュラー音楽の基礎理論

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ロックへの視点 (1972年)

ロックへの視点 (1972年)

追記。
ブログやツイッターはじめ、ネット上での感想を読んだりしてる。
で、「まさか自殺するような人とは思わなかった」なんて意見もわりと目立ったのが、実は意外だったりした。
自分も一報を聞いたときは絶句した。でも、一瞬の後、「もしや自殺では?」との推測も頭をよぎったのも事実。
あくまでも個人的な見解だが…中村とうようという人は、自殺を選んでも不思議ではないタイプに思えたからだ。リクツでは説明しきれないし、各人各様の人物評価に加えて、それぞれが抱える人生観まで関わってくる、最重要案件だから、完全に意見がわかれるだろうし、まったく何とも言えないが。
…ただ、毒舌家というのは実はメチャクチャに繊細で壊れやすい部分をもっている向きも多い。そんな我が身を自衛保存したいと思うあまりか、突き詰めると自ら命を絶つ、なんてケースも過去に例がある。自らの人生はいっさい運命には委ねず、自己が思うとおりに完結させたい、という美意識が働くタイプならなおさらというか。
映画スターだから立場などが違いすぎるかもだが、あまりに厭世的すぎる台詞を残して死んだ往年の俳優ジョージ・サンダースや、再婚したばかりの何十歳も年の離れた妻を残して命を絶ったリチャード・ファーンズワース(この方の場合はガンという理由もあったが…)らの前例を思い出したりもしたし。
ちなみに、かねて愛読している山田風太郎「人間臨終図巻」は、大半が病死のケースが列挙されている印象があるので、参考になるかどうかはわからない。

*1:正確に言えば80〜90年代がほぼ欠落なし、2000年代は06年まで全号