マイケル・ムーア批判に、ボンクラが一筆啓上。

id:pharmacistさんがまとめられた記事を拝読して、先日来むしゃくしゃしていた一件、ようやく思いきって書いてみる気持ちに。
以下、例によって、「釈迦に説法」を交えて、ヨタ講釈垂れましょう。
……あのですね、ムーアはもともと<ドキュメンタリー映画作家>じゃなく、ひとりの映画監督であり、作家でしかないんです。ブッシュらネオコン一派が代表する米国帝国主義等、<巨大なる悪>に対抗し、キャメラとペンで戦いを挑んでいる(つうか、喧嘩売っている)<活動家>なんです。ドキュメンタリー映画作家と思い込んで批判したりしてる人もいるようなんで、一応、前提を書いておきます。
ボウリング・フォー・コロンバイン』は、広義のジャンルとしては<ドキュメンタリー>に入るけど、アレは実際のトコ、一ジャーナリストによる銃問題啓蒙映画であり、映像ルポであり、アジテーション・フィルムだったりするんです。
一言で言い切れば、アレはネオコン一派がやってるプロパガンダに対抗する反プロパガンダの一環なんです。オレはムーア側なんで、多少「美化」した言い方をすれば、映画使って現体制に対してレジスタンスやってるわけですよ。
いちばん腹だたしいのは、ドキュメンタリーは本来、「客観的に事実を映しだすモノ」という先入観が世間的には流布しているコト。
まったく、とんでもない話です。ドキュメンタリーというものの成り立ちを考えてみてください。創り手はキャメラで自分が撮りたいと思うモノしか映しませんし、編集ではさらに自分たちの判断で、一番伝えたいコトだけを伝えるために映像を切り貼りするのです。要するに、ドキュメンタリーほど本来的に、きわめて<主観的><個人的>な映像作品はないのです。そこのところを間違って思い込んでいる人が、いまだあまりに多すぎる。
そんなただの不勉強からの思い込みでしかない、狭い<ドキュメンタリーの「定義」>に当てはめて批判しても、説得力はありません。
大体からして、『ボウコロ』がドキュメンタリーなんて呼ばれてるのは、世間に広く紹介するため、マスコミなり宣伝マンなりが勝手にレッテル貼って売ろうとしただけなんですから。つうか、日本では誤解覚悟で、<アメリカの『進め! 電波少年』>というフレーズで売り込まれたのを皆さん、忘れているんじゃないの? 
ニュースでもブッシュ批判のため制作された映画だって紹介されてるじゃん! アメリカ人も日本人も、ブッシュというバカ権力者を笑い飛ばすために見に行くのです。ま、ゴダールがいみじくも評したように、バカをわざわざ怒らせようとするやり口、そのものが問題だという意見もわかります。しかし、正直、それって米日両国の大衆をバカにした考えだと思うけどね。銃問題とかセプテンバー11とか辛〜い問題を、ユーモアなりおちょくってバカやってみたりするコトで、笑いながらも心のどっかで怒りつつ、見ていたりするワケじゃないですか、オレにせよ、一般庶民ってぇのは。


批判する対象のことをキッチリ調べもせずに、「やらせ」やってやがる! 捏造してやがる! あいつもただのテロリストだ! なんて息巻くのはお門違い、つうか認識不足で終わらない、ただの暴論ですよ。暴論こそテロみたいなモンでしょ? 
今回の一件ではヲタキングも下らぬことで自己主張したものよのぅ、と正直呆れてます。ま、もともと東大で平然と講師やったりとか、妙にあっさりちゃっかり体制側に取り入る才能のある方のようにお見受けしてて、その行動力に敬意こそ払えど、尊敬は一切してなかったので、構わないのですが。
今回の問題では、ヲタクが一番非難される面、<自分だけの世界>が守られればいい、という自己保存本能が屈折変化してあらわれがちな<保守反動体質>、要するに体制側について、自分の趣味生活のみを保証してもらおうとする性癖が露骨に出たと見てもいい。そのヲタクのなかでも王サマと評される仁、そのスタンスを自ら実証したと見ていい。


まぁ、ヲタクのコトなんざ、どうでもいいんです。オレもヲタクだし、てめえのコトはてめえでカタつけますんで。
本題に、戻します。 
もちろん、プロパガンダであろうが映画であろうが、基本的に「捏造」「やらせ」は許されるコトではない。いかな極悪人どもに対する闘争とはいえ、まっとうなやり方で挑むべきなのはトーゼン。この点は批判されても仕方ないでしょう。
だが、ムーアを批判するならば、ドキュメンタリーという映像制作における方法論はじめ、その成立要素そのものについてある程度まで理解しているべきなのに、かなり浅はかな先入観だけで語っている節が見えて、残念だったのです。
体制側によるニュース映像を使ってのメディア・コントロールとはワケが違うんです。ムーア監督&脚本作品と個人映画であることが明記されているのです。あくまでも特定の個人が撮った<映画>なんだから、つくった当人のメッセージが誇張表現等されて描かれてたりするのは、(是非を問う以前に)いたしかたなしな面もあろうと。それこそ、表現の自由というヤツで。

 
それでも怒りがおさまらない、なんて方はおいでですか?
では、ムーアなぞに怒るより先に、自分自身は現在、この悲しむべき事態起こり続ける世界にて、いま何をなし得ているか? というコトをまずは考えてみるべきではないでしょうか。
批判している方々の意見を読んでいると、結局ただのノンポリでしかないつうか、セプテンバー11イラク問題に関して、タダのネットで仕入れたりした「知識」でしか語ってないという気がしてならない。
キツい物言いというか、喧嘩売る言い方になりますが、結局、戦場にいない、または戦場からあえて逃げている者が、戦場にいる者をいくら批判しても、説得力はないんですよ。
どうもネット等を読んでいると、自分は<安全圏>に身を置くだけで、いかに自分が冷静に、知的に状況を把握しているか、というコトだけを「誇り」にしている、エセインテリの典型的意見が目に入ってきて仕方ない。そんなにてめえが頭イイことを自慢したいかね? 賢いってコトを他人から認めて欲しいのかね? 
正しい見方ができているからってだけじゃぁ、世の中ナニも変わりはしねぇよ? おのれの手は汚さずに、エエ格好だけしようなんたぁ、ずいぶんムシがよすぎる話たぁ思わねぃかぃ、ええ? 間違ってると思ってたヤツが、実は正しかったとしたら、どうするね? 


云うまでもありませんが、ムーアの闘争に加担しない人間を、悪人だの無用の長物だのと決めつけたいわけじゃない。
だが、ムーアにはムーアの立場があって、闘争を展開しているのだ、という最低限の前提を無視して批判しても、あまり意味はないということだけを、くりかえし、申し上げたいと存じます。
ヤツにはヤツの立場があり、それに従って行動しているのです。アメリカ人なのです。ブッシュの悪政によって被害を受けている当事者なのです(コレは実は日本人なら同じくなんでしょうが…)。セプテンバー11で友人を殺されているのです。ヤツはとりあえずブッシュを倒すコトで、状況を少しでも変える行動を起こしているのです。
もちろん、このムーアの行動が「吉」と出るかどうかわかりませんし、目的のためならナンでもやっていいわけでもありません。しかれども、今はまだ、見守る時期と考えてもよいのではないでしょうか? 答えを出すのは、まだ時期尚早でしょ? 


ついでに書いておけば、先のカンヌ映画祭でのゴダールの批判意見の尻馬にのっかってムーアをけなしても、愚かしいだけでありましょう、と。フランス人とアメリカ人では、根本的に置かれた立場が違いすぎる。
「安易なアジテーションは敵に利するだけ」という考えは正しい。しかし、ならばだ、ゴダール本人は、いま敵なるアメリカに対してナニを批判し、ナニをなし得ているのか? とツッコミ入れたくなる。
彼の作品は『愛の世紀』以降は見ていませんが、スピルバーグをおちょくるような発言したりするのがせいぜいなわけでしょ? 大体からしてあんたさ、カンヌで映画祭スタッフがデモった時、ムーアは一緒に歩いて抗議活動行なったのに、あんたは記者会見にスタッフ呼び立てて、意見云わせただけでしょ? かつて自分が革命的理想に燃えて一度潰しにかかった映画祭の記者会見席上でさ。
ゴダールが映画史上の偉大なる革命家であり、偉大な人物である事実は、未来永劫、変わりますまい。しかし、私にとっては正直、もはや政治的にも思想的にも信頼できる人ではなくなっています。体を張って行動していない、という以前に、天皇に勲章をもらいにくるような男に成り下がったわけで。オレはかの人もまたヤクザな映画監督のひとり、としてとらえるコトでしか、尊敬することはできません。そういう意味ではいまだに好きな監督ですが、変節漢に「共鳴」までは、できようハズもない。
ったく、人よりちょっと賢いからって、インテリはすぐ庶民はバカだと思って、説教たれやがる。悪いクセだぁな、ったく。ムーアをただのデブ呼ばわりしてる青山監督、あんたもだよ。ウェブで日記書くならさ、こそこそあだ名で内ゲバ告白みたいに垂れ流すんじゃなくてさ、実名ばんばん出して書きなさいよ。あえてリンクはしないけどさ、カンヌで賞もらってんでしょ? 奥さんも泣くぜ? 何かお題目唱えたり、構えてしか映画撮れないって、ヤバいよ。業界の他の監督の悪口云ったり書いたりする前に、ちったぁ客も入って、本気で映画青年燃えさせる映画撮れよってんだ。
ブライアン・ウィルソンだのジム・オルークだの、ロック使った歪んだ<権威主義>、見るに耐えないよ。そんなこったから、田舎者の九州のハゲとしか悪口云われないんだよ? オレもこっそり書くけどさ、こンだけ悪口書くのは、かつて同じような映画を見て育った<同志>としての、愛情ですよ。同好の士が日陰者扱いされるようなシャシン、やってんじゃねぇよ(泣)


いやはや、今日は特に滅茶苦茶長くなってしまいました……この一件に関しては、日本公開まで折に触れて考えて、私自身もナニが語り得て、「行動」に移せるか、検討していくつもりでおります。
オレはタダのボンクラですが、そんなオレにでも、やれることは何かはあるハズなので。
あ、一応書いておくけど、町山智浩氏が書かれていることに同調する意見というコトは認めます。もちっとオレ個人のスタンスを深く、明確にすべきかも、というのが今後の課題。