黒澤明伝説〜<昭和25年、加藤の乱>

ところで、<黒澤明伝説>で大好きな一幕をひとつ。マニア向けですが、ま、ひとくさり(けなしているのでファンの方はごめんちゃい)。
題して、<昭和25年、加藤の乱

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……世界的名作羅生門撮影時の話。当時、黒澤明は折しも東宝が歴史的な労働争議中だったため、大映に一時移籍中の身の上だった。
 ある日、志村喬扮する木こりが森の奥に入って行くシーンを撮影中、黒澤はふと、居並ぶスタッフを前に冗談を一席披露。
「志村もバカだねぇ。木なんてそこらへんに転がってるのに、わざわざ(「薮の中」事件の目撃者となるために)奥に入っていくんだからねぇ」
いささか他愛がなさすぎる、内輪ウケでしかないジョークである。もっとも、黒澤の「ユーモアセンス」というのは、大体においてヒネリのないものが多く、腹を抱えて笑えるようなモノは実際少ないのだが。
(例:『野良犬』より「警部、今日は犯人(ホシ)はつかまりますか?」「今日は月(ツキ)もないし、ホシも出ないよ!」<やや不正確)
それでも、そこは天皇と呼ばれた男である。普段は“暴君”な御大の御機嫌な冗舌に、取り巻きのスタッフはあわてて揉み手せんばかり、ニコニコと笑み崩れ。
「ええ、ええ、ホントですねぇ」と、皆みな相槌打ちまくりで首コックリコ、こっくりこ。
ところが、その場でただひとり、「フン……」と鼻を鳴らし、冷たい顔で笑みもしない男がいた。
チーフ助監督の加藤泰である。その後東映に移り、一部で熱狂的ファンを得たのちの鬼才監督だ。
黒澤は恐ろしいばかりに目ざとくも、それを見逃さなかった。巨匠はたちまち血相変えて、怒鳴り散らした。
「なんだァッ! ひとりだけ、かしこぶりやがって! 加藤のバカヤローが!」
先刻漂った和やかムードはたちまち吹き飛び、現場は一瞬にして凍りついた。もはや、撮影どころではなかった。
−“天皇”は終生「紳士」とたたえられた大人物だが、反面、どうにも嫉妬深く、異常なまでに神経過敏な人でもあった。
実際のところ、黒澤と加藤の冷戦状態は撮影前から始まっていたらしい。両人は助監督時代、一時、先輩後輩として親しい間柄でもあったというが、映画観や性格の違いからか、食い違いが生まれるようになっていた。
この一件のしばらく後、加藤は助監督としての慣習で、『羅生門』の予告編を製作した。それは、本編のカットはほとんど使用されず、蜘蛛の巣のアップや煽り文句を並べた字幕が挿入されたりするだけの、予告編としては極めて異例な、シュールきわまりない代物
加藤、“天皇”への最後の反逆であった。


……えー、各所記憶違いというか、たぶん思いっきり脚色してますが(笑)、個人的には大好きなエピソードだったり。


ちなみに、クロサワほどではないにせよ、加藤泰監督自身も「虫の目線」と俗に呼ばれた、地に潜るような超々ローアングルなど特異な映像設計で知られた天才肌の男だっただけに、現場でのスタッフの苦労は並大抵ではなかったそうです。地面に穴を掘ってキャメラを埋めたり、そんなローアングルから極端なアオリでやたら撮りたがるので、女優さんからは「ブスに写る!」と総スカンを食ったり。
実際、東映の大物プロデューサー、天尾完次さんにお会いできた時、加藤監督の話をふってみたら、「巨匠ぶった、イヤな人だった」と冷淡でした。
一番可笑しいのは、加藤監督がほとんど「寵愛」していた女優、桜町弘子さんが愚生の先輩に漏らしたという一言。
「どうして皆さん、加藤さんのコトばかり聞くわけ? あたしを何だと思ってるのよ!
映画マニアからの長年に渡る無遠慮な質問に、すっかりおかんむりだったそうな。


巨匠伝説のウラに、人の世の真実あり……。