本日付オレ的原体験アルバム。

<中高生時のベストアルバム10>1983〜1990
1.YMO「BGM」
2.ピンク・フロイド「狂気」
3.レッド・ツェッペリン「IV」
4.キング・クリムゾンクリムゾン・キングの宮殿
5.ジェネシス「怪奇音楽骨董箱」
6.ピーター・ガブリエル「So」
7.ポリス「シンクロニシティ
8.スティング「ブルータートルの夢」
9.U2「魂の叫び」
10.坂本龍一「Beauty」
次点:
佐野元春「カフェ・ボヘミア
PINK「サイコ・デリシャス」
オフコース「Over」
アラン・パーソンズ・プロジェクト「ステレオトミー」
ELP「恐怖の頭脳改革」
エス「イエス・ソングス」
アイアン・メイデン「死霊復活!」
イン・エクセス「キック」
ヴァン・ヘイレン「1984」
プリンス「サイン・オブ・タイムズ」

いま見返すと、いかにも中坊が好みそうな「基本系」アルバムが並んでて苦笑モノだが、ま、いいやな。


幼稚園から小学校低学年の頃は、沢田研二に憧れて、大声で歌いながら帽子飛ばしたりしておどけるのが常だった。もっとも、両親共に歌は人並みに好きだったわりには、音楽番組を家族揃って見たりはあまりしなかった。『トップテン』『ベストテン』を初めて見たのも小学校4年生の時。『夜のヒットスタジオ』はごくたまにしか見られなかった(まぁ、当時は夜21時には確実に寝ていたせいもあるんだが…)。そのせいもあって、YMOの全盛期は「ライディーン」等、曲を知ってるだけでほとんど覚えてなかったりする。
幼少期、ほんの数カ月、従姉のお下がりのオルガンを一時期習わされた以外、音楽の授業以外では楽器に触れるコトもなかった。オルガンのセンセイはなかなか美人なお姉さんだったし、続けておけばよかったと今になって後悔している。
中学校に入り、悪友の影響でラジオの深夜放送を聴くようになる。ウチは名古屋圏なので、当時大人気だったCBC小堀勝啓のわ! ワイド』オールナイトニッポン東海ラジオ)は毎日聴いていた。やがてDJのおしゃべりよりも番組中でかかる曲に興味が湧くようになり、本格的なリスナー体験が始まることになる。
手持ちのラジカセを駆使し、最初はAM、ほどなく音質のいいFMでエアチェックを開始。最初に録音した曲は、Mr.ミスター「キリエ」であった。当時短大生だった母方の従姉がレンタル屋でバイトしていて、洋楽ものを何十本ものダビングをムリムリお願いしたりした。そのテープの大半はまだ捨てずにとってある。
カラオケで歌える曲のレパートリーは、今に至るも中高生当時になじんだ曲ばかりだ。実家ではよくトイレで大声で歌ったりしていたが、大学に入学して上京後はアパート暮らしのため、以前より気楽に歌えなくなったのもあるが、それよりもあの当時は聴く歌がどれもより切実な存在だったからだろう。


中学校の頃は洋楽よりもニューミュージックが中心だった。オールナイトニッポン中島みゆきアルフィーを聴いていたのも大きい。アルフィーはわざわざ東京くんだりまで出かけて、<TOKYO BAY AREA>に行ったモンな(爆)席は後方すぎて、双眼鏡でもロクに見えないほどだったが。大学に入った頃にはまったく聴かなくなってしまったが、メンバーのおっさんぶりは今でも好ましい。同行者のT君は偏屈系で通った男で、彼もオレの洋楽の師匠のひとりとなった。
中島みゆきは当時の親友の影響もあり、オールナイトニッポン終了までは非常によく聴いた。今では恥ずかしいのでカラオケではネタでしかやらないが、有名曲なら大半楽勝(笑)。ライヴにも行ったが、その時点ではすでにプログレヲタになっていたせいもあり、さして感動なぞなかったのを覚えている。
中学時代はなんつってもオフコースにハマっていた。『ライブエイド』で「たそがれ」を演奏する姿を見て、キーボードを弾きながら美声で歌い上げる小田和正の雄姿(?)になぜか憧れたのであった。89年の解散コンサートは学校を仮病で早退してまでしてチケットを取り、東京ドームまで出かけた。学校には試験会場見学と称して学割を取った手前、某大学にも出向いた。日曜日だったのでキャンパスは閉鎖中だったが、オレは塀に張ってあった<プログレッシブ・ロック研究会>のポスターを目ざとく発見、狂気、もとい狂喜した。「プログレ研究会まであるなんて、東京の大学はやっぱすごいなぁ!」と感服したのである。今以上にバカ丸出しであった。*1
(つづく…かも)


*1:翌年、なんとか入学後、件のサークルに入ったが、映画サークルでの活動が忙しくなったせいもあって、4年生時には顔を出さなくなった。入学当時お世話になった先輩のおひとりは今は音楽ライターとなって御活躍中の由。今となってはどなたも懐かしい……。