『スティーヴン・スピルバーグ TAKEN』から、つらつら。

1件だけ終わらぬ原稿仕事の絡みでスティーヴン・スピルバーグ TAKEN』の第1話をチェック。『TAKEN』ってのは「拉致」のコト。異星人による連れ去り事件、いわゆる<アブダクト>をテーマにしたSF大河サスペンス・ロマン。1話90分、全10話という大作で、長すぎるなぁ、とやや及び腰だったんだが、思い切って見出したら、予想以上の力作だったんで感心しきり。監督がなつかしや、トビー・フーパー大先生ってのもびっくらこいたけど。彼ならではのホラーな空気感、久々に見せてもらえた気もしたぜ。


それにしても、昨年の『バンド・オブ・ブラザーズ』といい、スピルバーグドリームワークス、巨額のカネをかけただけハイクオリティなドラマを創りおるから、さすがだよ。『ER/緊急救命室』といい、本作といい、スピルバーグこそ、やはりいまや世界の映像業界において最大最高の指標的人物であることを再認識させてくれる。
ところで、賛否両論わかれる、彼の最近の監督作、例えばジュラシック・パークあたりをちょろっと見ただけで、アレを単なる愚作と断じたり、スピルバーグがハリウッドを悪くした、なんて強弁する向きもあるようだが、不勉強もきわまりない、というか、正直、愚かしい認識としか言わざるを得ない。少なくとも、<ジャーナリズム>に身を置く人間とは呼べないね。つうか、それで映画がわかってるなんてツラしてたら、恥もいいトコ。スピルバーグが一体、何を、どこまで、どのように実現・達成し得ているかを具体例を出して、論証できないとね。いくらひとりよがりで生煮えな映像論持ち出したところで、何の説得力もねぇ、へ理屈にもなりゃしねぇよ。


間違うコト自体はただの無知の場合も多いゆえ、「罪」とは呼べぬかもしれないが、知ろうともせずに間違っているコト自体を「正しい」「全然オッケー」なぞと、心底から思い、信じるようになったら、人間おしまいである。物事はあるがままに、その実体を正当に判断・評価できてこそ、なのだから。
スピルバーグに限らず、ジェームズ・キャメロン、はたまた『マトリックス』とか昨今のハリウッドCG路線大作を声高に非難しかできないのも困りモノだ。「映画の現在」ってモノを何だと思ってるのかねぇ? そういう手合いに限って、「映画は死んだ」だの、あるいは、何かにつけてゴダールのコトばかり語りたがったりするから、ますます始末に負えねぇんだ、コレが(冷笑)。
ゴダールなんて<映画>じゃねぇよ。あのオッサンがつくってるのは「映画のための映画」でしかない、いわゆる<メタ・シネマ>でしかねぇの。<メタ・シネマ>としてならオレだっていくらでも楽しめる、素晴らしいとも思っているが、しょせんスピルバーグはじめハリウッド映画と同列に語るコト自体が間違ってるんだよな。
まぁ、ネオアカ華やかなりしバブル期に、伸び切った脳味噌のシワの間に、「リュミエール」の論理だけお経のごとくありがたく拝読して、心身の隅々まで<ハスミ教>ねじこんだだけの似非インテリにはナニ言っても無駄だろうけどよ。どんな文章でも「われわれ」だの「僕たち」だのバカのひとつ覚えみたいに書いたりな。なんだよ、「僕たち」って? オレ様もそこに入れる気かよ、巻き込まれてたまるかってぇの。そういうヤツ、気色悪いだけなんだけどな、いまや。何でもかんでも小難しい言葉で語りゃあイイって思ってるシネフィル乞食どもめら、一体いまの今まで何の勉強をしてやがったんだか。
映画ってのはな、リクツじゃねぇの。ただの娯楽であり、商品であり、興行的産物でしかねぇんだよ。アホなリクツこねたけりゃ、それこそリュミエール(本物のほう)の『列車の到着』でも見直すこった。その誕生以来、見世物でしかないんだよ、映画ってのはよ……。
「インテリなんてのは、とにかく考えに考えるばっかりで、しまいにてめえがナニを考えてたかわからなくなるんでございますよ!」
なぁんて、あの寅さんも映画の中(第3作『フーテンの寅』)で言ってらぁ。ま、もっとも、それ撮った森崎東は京大出、生みの親の山田洋次ときたら東大出だから、インテリの自虐趣味、映画でもきわまれり、って感じなんだけどな(笑)
……てなコト書いてるオレはバカボンパパと同窓生! インテリなぞとは程遠い、ただのボンクラだってんだ、どうでいッ!(<だから胸を張るな、胸を!)